| らびりんす |
妊娠について
6回流産し、子供を授かったのは奇跡的だと医師にも言われました。 最初は妊娠せず、排卵誘発剤を注射していました。次は妊娠するけれど流産をす る。東京の有名な漢方医のところで、漢方を調合していただきました。3ヶ月飲んでいると、冷え性だった身体が温かくなってきたのです。 それと同時に卵管、子宮と西洋医学で検査しました。阪大の不妊科で遺伝子まで調べてもらいました。「どこも悪くない」との結果がでました。 姑にいっしょに来ていただいて、医師からその話をしていただきました。 その時、姑は「そんなに流産するような子宮なら、いらないから取ってもらいたい」と言いました。 医師は、「何十年も不妊科の医師をしているが、そんなむごい話を初めて持ち出された。不妊で悩んでいる人から子宮を取るなんてことは、不妊科として考えたこともない。私たちへの侮辱か」と怒りをあらわにされました。 私はびっくりして、口もきけませんでした。後で医師は私を呼び、「今度、妊娠した時は、あの姑とは、赤ん坊が産まれるまで会わないように」と言われました。 7回目の妊娠の時は、亡くなった主人の祖父が知らせてくれました。 10畳2間続きの端にご仏壇があり、私は20畳隔ててそのご仏壇の対角線上に座っていました。 なんだか、お腹に変なものを感じ、下を見ると、ご仏壇から線香の煙が3筋まっすぐに私の下腹部に入っていくのです。「これ何!?」 姑も舅も主人もびっくりして、飛び退きました。 姑はすぐにお経をあげはじめました。 私たちは、すぐ次の日に家に戻り、医師の診断を受けました。生理だと思っていたら、妊娠5週目で、流産しかけていました。 そのまま、入院し、3ヶ月間、絶対安静でした。1日に2回だけ立つことが出来ました。後は、「身体を動かさないように」と言われ、その言いつけを守りました。これが最後だと思いました。 2003/05/26(Mon)13:16
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医師は何が悪いのかを調べてくれました。 お風呂でした。血流が多くなり、それが子宮を収縮させているのかも知れないとのことでした。身体を動かすと収縮するのでそれも禁止でした。お風呂が悪いのは初めてのケースだったそうです。 姑は「妊娠は病気ではない」と言って、入院費の援助を求めた主人を断りました。主人は私の実家に頭を下げて、入院費を借りました。(それは子供が産まれてから聞きました。主人は姑と私を会わさないようにも取り計らってくれました。) でも、 入院中、主人はお見舞いに来ては、何かと私を泣かしました。理由は些細なことだったと思います。ある日、院長がたまたま私の病室に入ってきて、私が泣いているのを発見しました。 「いつも、こんな状態なのか!」とすぐに、移動式のベッドに移され、診察でした。子宮は収縮していました。すぐに大きな注射をうたれ、そのまま、詰め所の隣の部屋で様子を見ることになりました。 翌日、主人は院長室に呼び出されました。 「僕が最新の医学を使って、必死で診ているのに、君が来て元の木阿弥にしているのか。君がもし僕の息子だったら、このスリッパで君を張り倒しているところだ。 もし、奥さんをあのような状態にするなら、君も面会謝絶だ」とすごく怒られたそうです。 主人が風邪を引いてきたときも、院長は主人を呼び出し、風邪がうつったら、どうするのだ。面会謝絶だ」と言われ、実際に、主人の風邪が治るまで、受付の人が通してくれませんでした。主人は怒っていましたが、私は院長に感謝しました。 まさか、私から主人に言うわけにはいかなかったからです。「せっかく、見舞いに来てやってるのに、なんだ、その言い方は!」と怒るに決まっているからです。 退院の時も、主人は、私を泣かさないことを約束させられていました。 そういうわけで、子供は主人の祖父、病院の院長、そして、主人に守られて産まれてきてくれました。 2003/05/26(Mon)13:58
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産まれるまで、私は家でもベッドに横たわったままでした。 主人が食事を作ってくれました。その時に、主人は料理を覚えました。 でも、妊娠がわかったときも、主人は浮気をしていました。 先日、ある会で院長の奥様が、偶然隣に座られました。 私の事を21年も前の事ですがよく、覚えてくださっていました。院長は、いつも、私を例に挙げて、不妊で悩む人を力づけておられるそうです。 「諦めてはいけない」と。 赤ちゃんを授けて欲しいと望まれている方の少しでも、励みになればと書きました。 |