依存と自立
| 私は気弱で、傷つくことがあるとすぐに落ち込んでそれを引きずってしまいます。何事にも動じない強い心を持つにはどうしたら良いのでしょうか。 |
心が強くなるということは自己を確立することですね。それにはまず、何かが欲しいとか怠けて楽をしたいとか、そういう自分の内側の欲望に支配されないことです。次に、誰かに何かをして欲しいとか、自分の周りがこうあって欲しいというように、外部の環境に依存するのではなく、自分の力で主体的に何でもやれるようにならなければいけません。そうして自己が何者にも支配されなくなれば、傷つくことも落ち込むこともなくなりますし、何事にも動じることがなくなくなります。実は仏道の修行もこの目的そのものです。「自立と依存」参照。
| 友達でも家族でも、辛いことがあって相談にきたら救ってあげる自信があります。でも自分が辛い時、悲しい時、叫びたいときがあっても、頼りになる人が誰もいません。 |
すばらしい方ですね。本当に他人に尽くせる人は少ないですから、そのような人は誰かから尽くしてもらうことは少ないのです。そのときは、天自然から自分がどれほど恩恵を受けているかを感じれば良いと思います。風のありがたさ、水のありがたさ、火のありがたさ、土のありがたさを感じてみて下さい。そうすれば自分も幸運に恵まれるようになりますし、野中の1本杉のように、寄り添う人達を守ってあげられるようになると思います。他人を助けてあげる人に課せられてくる課題は、自立、否依存、孤独です。その課題の中で自分の弱さと戦わなければならないのは、ごく人間的なことだと思います。「自立と依存」参照。
| ぼくは18歳になります。昨年高校を辞めて無職です。周りの人に、「お前はホントにがきだな」いわれます。自分でも大人でないのが判ります。すぐに愚痴を言うし、すぐにムキになります。どうやったら精神的に大人になれるのでしょう?普通の人はすごく落ち着いていて、少しくらい不満があっても責任は果たすし、甘えていないし、何が違うのでしょう? |
大人と子供の違い、聖人と凡人の違いはいずれも3つの視点で捉えることができます。それは自立性(主体性、責任感)、慈愛(脱自己中心、相手に対する思いやり)、創造性(新たなものを作り上げたり、打開したりする力)の3つです。それらは本人の生来の資質もありますが、親がそれらを備えているかどうかで、子供も同じように育ちます。例えば親が依存的で横暴であったり、子供のやることに手出しをするようであれば、子供は依存的で主体性のない子に育ちます。そして自分勝手で思いやりのない人になります。しかし大人になってしまったらもう親は責めないで下さいね。もともとは自分もそれに見合った素質があるからで、親の責任だけではありません。親離れをした後は、自分の力で大人になって下さい。
自立心や創造性は初めてのところへ自分の力だけで1人旅をしてみたり、初めての山へ1人登山を繰り返すことで身に付いてゆきます。山は危険ですから、勉強は充分しなければなりませんね。思いやりの心は、ボランティアなどを通して、収入や見返りを求めることなく、人に尽くすことで身に付きます。これらのことは別に改まらなくても、意識さえしていれば日常の生活の中でも身に付けてゆくことができます。
自分自身にそのような疑問を持つということは、実はすばらしいことなのですね。目標に向かって方法付けは為されていますから、あなたのような人は将来きっとすばらしい人になりますよ。「自立と依存」参照。
自信
| 昔からひ弱で、自分に自信が持てませんでした。独裁者のような上司に12年仕え、彼のいうことをハイハイと聞くだけのサラリーマンでしたが、神経症やうつのため退職しました。この状態からどうやって抜け出したらよいでしょう。 |
ずっと自己が抑圧され続けて、自己の確信(自信)がなくなってしまったのでしょうね。自信を身に付けるには、困難なことを何度も何度もやり遂げればよいと思います。困難を乗り越えることで、自分自身に打ち勝つ力が身に付いて、それが自信になってゆきます。それを実現するために私は登山をお勧めします。仏教であれば修験の山岳修行に参加するのがよいかも知れません。もしうつがひどいのであれば、急に始めることはできませんから、徐々に慣らしてゆけばよいですね。トレッキングから始めて、ジョギングなどに進めば良いと思います。心身といいますが、健康な心は健康な体が基本になります。あとはボランティア活動などを通して、思いやりの心を養って下さい。そして正しい生き方考え方を身に付けていけば、きっと直ると思います。
| 高校を中退して大検から大学に進み、今年大学を卒業して就職したものの半年で退職。今、就職活動をしているのですが、ほとんどが書類選考か一次面接で落とされます。プログラマーの職に就きたいのですが、自分には才能もなく、自信もありません。こんな私を正社員として働かしてもらえる場所があるのか悩みます。 |
人は年齢に関わりなく、夢や希望と共に若く、失望と共に老います。思うに高校中退、半年で退職という挫折体験が自信喪失になって、精神がしぼんでしまっているのではないでしょうか。それを克服するには、困難を何度も何度も乗り越えて、自分自身に対する勝利体験を積み重ねることだと思います。私は登山がそのような効果をもたらすと思いますが、困難をやりぬくことであれば何でもけっこうです。そのまま就職しても、きっとまた退職を繰り返すだけでしょう。長い人生ですからもう少し足場を固められては如何でしょうか。
| よく周りの人に,もっと自信を持ちなさいって言われます。そのように心がけて自信を持っているつもりが、どうも傲慢になって人を見下した態度をするようになっています。どうしたら自信を持てるようになりますか?どうしたら慢心を捨てられるようになりますか?なぜみんな私に自信を持てというのかわかりません。 |
自信は自分自身に勝利する確信です。自分の欲望や怠け心に打ち勝つ力ですね。それは困難なことをやり遂げるという勝利体験を繰り返すことによって得られます。妥協や挫折を繰り返すことによって自信は失われてゆきます。どうですか?何か心当たりはありませんか?慢心と自信の違いは、慢心は他人との比較の中で発生するおごりで、自我にその原因があります。自信は自分自身の内的な確信で、自我を乗り超える力です。
| 結婚1年ですが、独身時から夫に罵声を浴びせたり、物を投げつけてしまいます。ストレス発散のためカラオケなどへ行っても、すぐ夫のところに帰りたくなります。 |
ご両親のどちらかが横暴な方ではありませんでしょうか。親の心理状態は子供にコピーされますから、子供は自分で気が付かないうちに、親と同じ行動を取るようになります。もしそうであれば、共依存の可能性があります。共依存では相手への依存が相手への横暴として表れてきます。解決策としては、カウンセリングを受けるか、仏教の阿弥陀信仰やキリスト教などの信仰も効果があると思います。ご自分が精神的に自立して、ご主人様に依存しないで何でもできるように心掛けて下さい。
| 私は自分の感情があらわで、表情に出たり不機嫌になったりします。自己中心でほとほと嫌になります。どうやったら感情をを抑えられるのでしょうか。 |
感情は誰にでもありますが、人によって感情に支配されるか感情を支配するかの違いはあると思います。湧き上がる感情をじっと見つめ観察することによって、感情を支配する力を身に付けてゆくことができます。感情を冷静に観察する自己が育つと、感情が直接表情や行動に結びつくことはなくなり、行動は感情から分離して、意志の力に委ねることができるようになります。座禅などの瞑想も効果があります。時間がかかりますので、忍耐強く訓練されて下さい。
| 今一緒に暮らしている人の中に腹が立つ女性がいます。彼女のやりたい放題の姿勢を見ると一気に腹が立って爆発しそうになります。このイライラがストレスになってとても苦しいのです。どうすれば怒りや腹の立つのを抑えられるでしょうか?頭に来ない心が欲しい。気持ちをコントロール出来る強さが欲しい。怒りやイライラから開放されたい。 |
まず相手に何かを期待する依存心があると、不平不満が怒りになります。そして自分を犠牲にする思いやりの心がないと、自分に都合の悪いことが怒りになります。つまり自立心を身に付けることと、慈悲の心を身に付けることが、怒りをなくする方法ですね。腹が立つ相手というのは大体自分と同じ欠点を持っていて、その欠点に腹を立てていることがほとんどです。「人は自分の鏡」といいますが、相手に感ずる腹立たしさは、自分で自分に腹を立てているに過ぎないのですね。それを知らせてくれる相手に感謝致しましょう。
| お客様窓口で電話応対の仕事をしていますが、電話で横暴なお客様がいたりすると、つい「カ〜ッ」となることがあります。ある程度怒りがおさまった後で後悔するのですが、これって性格だから仕方ないのでしょうか?心の中でどのように考え、怒りを静めているのでしょうか? |
怒りを克服するのは大変ですが、接客のときは、考え方を少し工夫することによって割り切ることができます。横柄な態度を取るお客様は大概社会でさげすまれている人が多いのですね。その鬱憤を晴らすために弱い立場にある人をいじめようとします。そのように相手の心が読めると、腹が立つより気の毒に感じるようになります。そのような人は丁重に接して、偉ぶらせてあげれば、無上の喜びを感じます。子供をあやす気持ちでやってみて下さい。横柄な態度に腹を立てるのでは、自分がそんな客と同レベルということですから、そう考えて自制して下さいね。
執着と後悔
| 過去の失敗を後悔して、何度も思い出しては半狂乱になります。 |
それは執着心を絶たなければなりません。今を全力で生きていないと過去に執着を残します。それには瞑想によって集中力を養われたら良いと思います。それからお布施(喜捨)を繰り返したり、自分の周りの不要物はどんどん捨てて、欲望の生活を離れて下さい。
| 自分の人生で、周囲の人に勧められて決めたことを、こんなはずでなかった、ああすればよかったと後悔してしまいます。 |
「もしクレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の歴史は変わっていただろう。」と言った人がいますが、過去に「もし〜だったら」を持ち込んでも意味のないことです。人生はやり直しのないドラマですから、一旦決めて踏み込んだことは、それがうまくゆくように最善を尽くすべきだと思います。それを後戻りして悔やむのは、とても不幸なことでしょう。もし本当に間違った道に踏み込んだのであれば、自然と別の道が開けてくるはずです。それまでは、今の環境で幸福を見出すことだけを考えるべきだと思います。
衣食住に必要な最小限のもの以外買わない。ブランド品など集めないということです。昔使った不要物はどんどん捨てて、身の回りを清楚にしておく。可能な範囲で、困っている人たちにお布施(喜捨)をする。お金や宝石などの財産を所有しない。子供に期待しない、頼らない。老後のことを必要以上に考えない。過去の写真をみたり、思い出に浸らない。あだ名、ペンネームを使って、実名を呼ばれないよう工夫する。定期的に改名するのもいいかも知れませんね。
| 私は過去,教師に虐待を受けました。彼は差別主義者で、失敗をけなして笑い飛ばし、人の気持ちなんて考えたことがありません。算数が苦手だった私は放課後に残され、一対一で向かい合って座りました。地獄のように長い時間でした。どうしても理解できない私を、彼は殴りつけます。打ちます。瘤だらけになりました。授業中、黒板の前に出され、頭を黒板にたたきつけました。バイキング式の給食を、えらい役割順にならばせ、一番席の遠かった私にはぐちゃぐちゃになった魚が残りました。もう6年も前なのですが、なかなか過去にとらわれていい方向へ考えることができません。忘れるためにはどうしたらいいですか? |
お話の文面では先生が極悪非道に描かれています。そのような極悪非道の先生が、たった1人の生徒のために放課後自分の大切な時間を割きますでしょうか?私が先生であれば、見込みのないどうでも良い生徒は放っておいて相手にしないでしょう。虐待とよく似たものに、厳しさがあります。厳しさは愛情によるものですが、その表現は人によって違いますから、間違った捉え方をすると、それは自分の苦しみの原因になるだけです。
過去を忘れるには、現在を全力で生きることです。現在を全力で生きていない人は、過去を悔やみ、未来を愁います。もし虐待を受けたとされる過去も全力で生きていたとしたら、数学は苦手だったでしょうか?人を裁いて許さない心は、自分自身を苦しめます。相手を非難する前に、まず自分自身をよく振り返ることをお勧めします。
| 自分のしたことにいつも後悔しています。自業自得とはいえ、後悔の念ほど惨めなものはないと痛切に感じています。気力がなく、何しても本当に楽しいと思えません。後悔の念は、どうしたらなくせるのか、どのように気持ちを持っていったらいいかアドバイスをお願いします。 |
後悔も、未来の憂いも人間の執着心によるものですから、執着心をなくしなければなりません。執着心は、今現在に全力を尽くすことによってなくしてゆくことができます。現在に全力を尽くせないと、過去に悔いを残し、未来に憂いを抱きます。人間は創造的に今に全力を尽くす以外に為せることはないのです。過去も未来もその結果に過ぎません。結果はすべて原因である現在に帰すべきです。
憎悪と憎しみ
| 父が母を追い込んで、母は死にました。父が憎くてなりません。日頃は平静を装っていますが、いつ爆発するか判りません。 |
憎悪の念は相手には伝わりません。憎悪は自分自身を傷つけ、苦しめるだけなのです。お父さんがどのようにお母さんを追い詰めて、お母さんがどのように亡くなられたのかは判りませんが、お父さんが故意にお母さんを追い詰めた訳ではなく、結果的にお母さんが亡くなっただけではないかと思います。もしお父さんに道義的な罪があれば、お父さん自身が苦しんで、自らを裁くことになるでしょう。ですからあなたはお父さんを許して下さい。さもないと、憎悪の裁きをあなた自身が受けてしまいます。それからお母さんのご供養をねんごろにして下さい。お父さんを許すこととお母さんの供養、この2つをしっかりやれば、災いはどこかに飛んでいくと思います。
夫婦で事業を始めましたが、テナントビルのオーナーが嫌がらせを繰り返します。お金がないので今はビルを出られません。殺してやりたいくらい憎くて苦しいです。
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憎しみの心は相手に作用するのではなく、ただ自分自身を苦しめるだけだという人間の心の仕組みになっています。ですから自分の敵も隔てなく愛することが、そのまま苦しみから逃れる方法になります。しかし私たちは聖人ではありませんから、それはなかなか難しいことだと思います。そのような時私はこう考えるようにしています。嫌がらせをする相手は、自分自身がその苦しみを受けることになりますから、その人を気の毒な人だと思うようにしています。あるいは、「もっとどんどん嫌がらせをして苦しむが良い」と思うこともあります。そして自分自身に対しては、相手の嫌がらせによって感じる苦しみは、自分が誰かに嫌がらせをした結果なのだと思って、自分を戒めています。自分が人を苦しめることがなければ、自分も人に苦しめられることはありません。
相手の問題は相手の問題、自分の問題は自分の問題、それぞれの問題は結びつきのないもので、自分は自分の問題だけを解決してゆけば、相手に関わりなく苦しみはなくなります。
| 15年前、私の彼氏が金品を強奪された上殺されました。1ヵ月後土の中から無残な姿で発見されました。犯人は捕まりましたが、裁判の態度はふてぶてしいものでした。今でも呪い殺せるなら犯人達を全員呪い殺したい思いです。 |
自分の大切な人を殺されたのであれば、その犯人を何回殺しても足りないほどの恨み(うらみ)憎しみ(にくしみ)を感ずるのは、誰しも当然のことだと思います。私も自分の家族がそのような目に会えば、きっと同じでしょう。しかしその恨み憎しみを長く続けると、自分の心の中に殺人者と同等の罪を蓄積してしまうのです。それは「何回殺しても足りない」という憎しみの言葉でも判ると思いますし、胸に手を当てて頂いても直感することができると思います。そのような殺人者のために、自分の心を傷付け、自分を罪に陥れてしまうのでは、亡くなった方も決して浮かばれないのではないでしょうか。因果応報の法則で、殺人者は必ず自らを裁いて、相応の償いをしなければなりません。ですから罰は天に任せ、人は年月と共にいつか恨みや憎しみを忘れる必要があるのです。亡くなった方を取り返すのは不可能ですから、今は清らかな心でご冥福をお祈りするのがベストではないかと思います。それから彼を想うとき、死んだときの肉体を想像すべきではありません。死後の姿は、生前の穢れのない姿であることを忘れないで下さい。
| 職場にとても憎い同僚がいます。その人は上司や先輩を味方につけて自分の好き勝手に振舞います。私は口下手なので、その影でいつも損ばかりしてきました。これまでのそういう感情が蓄積されて、同僚を殺して自分も自殺したいくらい憎らしいのです。 |
憎悪の念は相手に伝わって相手に作用をするのではなく、自分自身を苦しめるだけなのです。死ぬほどの苦しみは、自分自身の憎悪が生んだ因果です。同僚から受ける仕事上の損とは一体何でしょう。嫌な仕事が自分に回ってくるということでしょうか。自分が犠牲になるとはどういうことでしょうか。
その損得と、自分が死ぬほどの苦しみを感ずる損得を比較してみて下さい。一体何が損で何が得なのでしょう。仕事上の損という思い込みは、考え方を変えるだけで簡単に得に変えることができますが、憎悪による死ぬほどの苦しみはなかなか変えることができません。否定的な言い方になってしまいましたが、答えはお判り頂けましたでしょうか。
| この前父が亡くなり、その後父の日記帳が見つかりました。それを読んでいくうちに、健康だった父が、母の不倫を知ってから発病した事が判りました。母は人からよく美人だといわれ、周りの人たちからちやほやされて、そんな時の母は、家で子どもを怒鳴りつけている時とは別人のように、にこにことして華やかだった。亡くなる1ヶ月程前に父は母の不倫を目の当たりにしました。父はその後辛い思いを書き綴っていましたが、その頃から心臓の痛みが始まり、ある日突然心臓の発作で死にました。私はこのことを知ってから母を許す事ができなくなりました。日記の存在を知らず、父の葬儀の時からずっと元気な母。父を傷付けたまま反省することもなく、「いなくなってせいせいした」で終わるのか?私も完璧な人間ではないから人を責める資格などない。でも、この気持ちをどうしたらいいのか判りません。 |
大切な方を亡くされたときは、悔やみのあまり、往々にして誰かを責めたり、自分を責めたりしてしまいます。あなたの場合、お母さんを責めておられる訳ですね。確かにお母さんの行為は間違っていますし、お父さんの怒りや失望は大変大きなものだったと思います。それがきっかけでお父さんの心臓発作が始まったのは事実かも知れませんが、お父さんのご病気はもともと潜在していて、いつでも発作が起こる状態にあったのではないでしょうか。ですから、お気持ちは判るのですが、お父さんが亡くなられた原因がすべてお母さんにあったとは考えないほうが良いと思います。
お母さんの不倫はあくまでお父さんとお母さんの夫婦の問題ですね。そのことはあなたとは直接関係のないことだと思います。あなたとお母さんの関係は、あなたが赤ん坊の頃からお母さんが自分を投げ打って育ててくれた親子の関係ですね。親の恩を恨みや憎しみで返すのは、とても悲しいことです。お母さんは美しく生まれ、あまたの男性の誘いの中で自分を試される運命にあったのでしょう。そのような運命の中で犯した過ちだと思います。お父さんの書かれた日記はお母さんに読んで頂いて、お母さんに反省の機会を与えられたら良いと思います。そしてあなたはお母さんをお許しになられたら良いと思います。お2人でお父さんのご冥福をお祈りになることが一番大切なことではないでしょうか。
人嫌い、いじめ、引きこもり
| 学校でいじめを受けて登校拒否になって以来、人が怖くて引きこもりの日々を送っています。 |
あなたは小さい子供達や、お年寄りや、体の不自由な方々に優しくしていますか?自分より弱い生き物や、小さな虫けらや、自分では動けない植物に優しい気持ちを持っていますか?そういう自分より弱いものに是非興味を持って、それらを見ている自分の心をよく観察してみて下さい。もし弱いものに対して、意地悪で乱暴で威張っている心があったら、それを直さなければなりません。自分より弱いものに優しい気持ちを持てるようになったとき、人は怖くなくなると思います。「人嫌いを克服するために」参照。
| 訳も判らずシカトされたり、集中攻撃を受けてから対人恐怖症になりました。友達はいますが、ただ嫌われたり仲間はずれになるのが怖くて機嫌を伺っているだけです。 |
いじめられる苦しみは、「いじめることはいけないことなのだ」ということを自分自身に教えてくれる叫びなのです。ですから自分が弱いものに優しくしてあげられるようになれば、だんだん直ってくると思います。そのためにはまず小さい子供達やご老人に優しくしてあげて下さい。道で小さい子供達やご老人を見かけたら、困っていることがないか、危険がないか、様子を見てあげて下さい。遊んでいる子供達を見かけたら、楽しく声を掛けたり一緒に遊んであげて下さい。老人介護のボランティアをやっても良いですね。野生の動物を優しく観察するのも良いと思います。小さな虫けらを見つけたら応援してあげて下さい。何かの植物を自分で育ててみるのも良いかも知れません。そういう自分より弱いものたちに、一生懸命何かをやってあげて下さい。何年も何年もそれを繰り返して、弱いものに対する優しさが自分の心の中に染み込んだとき、怖いものがなくなっている自分に気が付くと思います。そしてそのときには、自分が自分を大好きになっているでしょう。「人嫌いを克服するために」参照。
| 学校でよく嫌がらせやいじめを受けます。いじめられる理由は私にあるのでしょうか。どこを直せばよいのでしょうか。 |
もし陰湿で悪意ないやがらせを受けているのであれば、いじめを受ける側の責任は2つあると思います。1つは仕返しを怖がって嫌がらせを白日の下にさらそうとしない自分の弱さです。少しぐらい脅かされても、スピーカーのようにそのことをしゃべりまくる勇気を持てば、陰湿ないじめは成立しなくなります。目先の痛みを恐れると、あとで大きな痛みを受けることになります。もう1つの責任は、自分がいじめを受けて感じる苦しみは、自分が何かをいじめて、何かに与えている苦しみそのものであるということです。ですから、自分が弱いものに対して優しくなって、思いやりの心に満たされれば、いくらいじめを受けても、苦しみを感ずることはなくなります。「人嫌いを克服するために」参照。
| 小学生の子供の友達がいじめに遭っているそうです。担任の先生も気付いているのですが、何も手を打てないようです。自分の子供がいじめたりいじめられたりしないためには、親はどう教育したらよいでしょうか? |
いじめたりいじめられたりしないために一番大切なことは、子供を自立させることです。そして人から何かしてもらう依存的な子供ではなく、人に何かをしてあげられる優しい子供に育てれば、いじめられることも、いじめることもなくなります。それには愛情豊かに育てることが第1で、悪影響を及ぼすのは、親の自己中心的な言動です。子供がやろうとすることに親が手を出したり、子供の世界に親がしゃしゃり出るのも、子供の自立を妨げます。すべて幼少期に親が示した態度で決まりますので、頑張って下さい。
| 私はおとなしい性格で、人によく暗いといわれます。いつも人にどう思われているか気になって人と喋ることができず、誰にも会いたくありません。この対人恐怖症をどうしたら直せますでしょうか? |
おとなしいとか暗いというのは、周囲に対して思わしくない想念が心の中にあって、それが言動に表れるのを自分で抑圧しているからだと思います。人嫌いの原因もそれに結び付きますが、自分への過大なこだわりが周囲を大きな圧力として感じていると思います。人の自我は際限なく自分を狭め、周囲との対立を深めます。それを防ぐには自分を捨て、見返りを求めることなく人や全体のために尽くす習慣を身に付けることです。それにはボランティア活動などで、困っている人のお手伝いをするのが良いと思います。いつも人のために自分が何をやれるかを追求し続けて下さい。それが良い想念となり、人嫌いをなくする2つの目的に、同時に効果を持つと思います。短期間に解決する問題ではありませんから、忍耐強く続けて下さい。「人嫌いを克服するために」参照。
| 私は人間関係のもつれから人と接するのが怖くなりました。今精神科のカウンセリングを受けていますが、このまま自分がどうなってしまうのか不安で仕方がありません。カウンセリングを受け、薬を飲んでいれば直るものでしょうか? |
カウンセリングは効果がある場合もありますが、根本的に直すには、自分へのこだわりをなくし、自分の範囲を小さな自分から、周囲の人たちも含めた大きな自分に拡大する必要があります。そのためにはボランティア活動などを通して、直接人のために尽くすトレーニングをすると効果があります。仏教はそれを目的としたトレーニングシステムですから、興味さえ持てれば仏教の教えを実践するのが一番良いと思います。「人嫌いを克服するために」参照。
| 私は人見知りがあって、うまく人と接することができません。友達は決して少なくないのですが、仲良くない友達とはなかなかうまく話せません。気に入った子がいてもうまく話せずけっきょくそのまま終わってしまいます。どうすればこの性格を直せるでしょうか? |
人見知りは、自意識が過剰で、自分にバリアを作ってしまうからですね。それを避けるには、自分を意識しなければ良いのですが、そのためには自分の外のものに強く興味を持つことです。相手の動作、言動、表情、相手の趣味、家族構成、相手の・・・、相手の・・・。あるいは空の色、雲の形、景色の美しさ、とにかく自分以外のものに強く興味を集中するのです。それから自分に対するこだわりが強いので、自分を捨てて人のために尽くす習慣を身に付けられたら良いと思います。自分のこと、自分のもの、自分さえ、ではなくて、人のこと、人のもの、人の気持ち、と人のことだけを考えて人に尽くし、自分へのこだわりをなくするのです。「人嫌いを克服するために」参照。
| 20代女性です。今まで生きてきてたくさんの人に傷つけられました。いじめられ、心の病気にまでなって仕事も失い、婚約破棄になり、、なんかもう・・人が信じられません。人の幸福が最近妙にうらやましいです。両親もいなく、人が恐くてたった1人で家に引きこもってます。こんな私を助けて下さい。 |
あなたがもし何かを盗まれる被害に遭うとしたら、盗まれるものがたくさんあるからですね。そうすると、傷付けられいじめられる被害に遭うのは、何があるからだと思いますか?それは守ろうとする自分がたくさんあるからではありませんか?あなたは自分自分という自分へのこだわりが強いと思います。その心は自分が傷付くと同時に誰かを傷付けています。それを直すには、自分を捨てて、自分よりも弱い立場の人のために尽くし、誰にでも優しい人になって下さい。そうすれば自分が傷付くこともなくなります。
自分を捨てるということは、自分を犠牲にして人のため、全体のために全身全霊を尽くすことを繰り返すのです。毎朝最寄の駅前や公園の掃除をするのも良いでしょうし、ボランティアで体の不自由な人に尽くすのもよいと思います。そのような見返りを求めない行動を通して、自他のない心境、あるいは自分などどうでも良いという心境になれば、自分へのこだわりはなくなっています。「人嫌いを克服するために」参照。
| 人生は難しいです。どうしたら人を信じることができるのでしょう? |
信じるという意味が相手が自分をひいきにしてくれるかどうかということであれば、ひいきには必ず裏切りがあります。ですからそういう意味で信じられる人はいないでしょう。人と人の間の相対的な正しさは、時と場合によって変わるからです。
もしあなたが普遍的な正しさを求めているのであれば、普遍的な正しさを求めている他の人から裏切られることはないでしょう。そのような自分は、そのような人を信じることができます。ですから人を信じるには、まず自分が人に信じてもらえるようになることです。
| 25歳の女性です。小さいときから、受身で内向的な性格で、自分から友達を作りませんでした。思春期のころになって、まわりの人たちと摩擦があっても、ただ目の前の嫌なことから目をそらせて、積極的に人と関わらないようになりました。その結果、今、仕事はしていますが、友達も恋人もいない状態で、人生で大切なものが欠けている気がしてなりません。今から人間関係を築き、友達、恋人をつくるにはどうしたらいいのでしょう?悪いところを直す気持ちは十分あります。 |
内向性と外向性はシーソーのように相反するものだと錯覚しますが、そうではありません。人間は内向性も、外向性もどちらも必要です。あなたは内向性はあるのですから、更に外向性を身に付ければよい訳ですね。外向性は自分の外に興味を持つことです。相手の顔、服装、趣味、家族構成、行動、それら相手のすべてに自分の興味を集中して、自分の内に興味が向くことを避けて下さい。そして相手が興味を持つ相手の話題で話をすればよいのです。相手が何に興味を持ち、何を話してもらいたいか、いつも相手にセンシティブでいて下さい。この下の「自分嫌い」が参考になります。
もう1つの手法ですが、もともと自分に対するこだわりが外よりも自意識に興味を向ける訳ですから、自分へのこだわりをなくする必要もあります。それは自分の痛みを持って人に尽くす、ボランティアなどの活動によって身に付けることができます。そして自意識に対する思考の暴走を抑止したり、他人に興味を集中するためには、座禅などで集中力を身につけると効果があります。人に興味を持ち、人に喜んでもらい、人の幸せを願って、自分(自我)を捨てて下さい。自分へのこだわりがなくなるに従って、自分と他人を隔てるバリアがなくなり、人や全体と調和するようになって、円滑な人間関係が築けるようになります。
自分嫌い
| 私は嫌われたり無視されたりするタイプなのです。どうしたら人から好かれるようになるでしょうか。 |
あなたはどんな人が好きですか?何か自分の欲しいものをくれる人。自分を心配したり手伝ったりしてくれる人。自分に興味を持って色々話題にしてくれる人。要は「くれる人」が好きなはずです。ですから人から好かれるには「あげる人」になれば良い訳です。
相手の人に興味を持って、相手が何をして欲しいか一生懸命考えて、それをしてあげる人になってください。その見返りを求めたらだめですよ。Give&Giveで損得を考えずにたくさんたくさんしてあげてください。自分の好きな人にも嫌いな人にも隔てなくね。ちゃんとそれが実行できれば、そのうち周りの人が寄ってくるようになります。そして自分で自分が大好きになってきます。何年かかかるかも知れません。もしそうならないなら、未だしてあげ方が足りませんからね。たくさんたくさん、山ほどしてあげてください。
| 私はとても自己中心的な人間です。どうしたら自己虫をなくして誠実に生きられるのでしょう。 |
ご自分に気付くというのはそれだけですばらしいことです。、あとは時間の問題だろうと思いますが、少しでも時間を切り詰めたいのであれば、行と瞑想が効果があります。行としては、公共広場や公衆トイレの掃除など、できるだけいやな仕事を、無報酬で繰り返して行うことです。更に習慣を変えるためには、座禅などの瞑想をして、無意識をコントロールする力を高めると効果が上がります。これらを繰り返せば、数年で変化が表れると思います。
| 他人からカタイ人だと言われるのが嫌でたまりません。芸能人のように人前で笑顔を振り撒ければいいのでしょうが、そんな才能はありません。人付き合いを避けがちなのがそう思わせる原因の一つかもしれませんが、人付き合いを避けることにより自分を守っているともいえます。 |
カタイというのはゆとりとか面白味がないということでしょうか?そうであれば自分を守ろうとして対人的にゆとりを失っているのではないでしょうか。自分を捨てて、見返りを求めることなく人に尽くす訓練をされたらよいと思います。そして相手に対して思いやりの心をいつも忘れないようにしていると、だんだん人と打ち解けられるようになってきます。愛想を良くすれば親しくなれるのではありませんね。そのような外面は単に裏腹であるだけです。
| 結婚して11年、優しい主人と良い子供に恵まれ、勤めも順調です。しかし私は自分に自信がなく、自分を好きになれません。学校の授業参観や運動会、レクレーションなどで、知っている人たちの中に入って行くのがとても苦手で、登校拒否になります。知り合いの立ち話を見ると、自分の事を言われているような気がして落ち着かなくなります。何故私はこんなに自分自身が嫌いで自信が持てないのでしょうか? |
あなたのようなお悩みは、誰でも大なり小なり持っていると思います。自分を好きになるには、人に好かれるようになればよいのですが、それには人の喜ぶことを繰り返しやり続ければよいですね。そのためには、まず相手の喜びを感じられるようにならなければなりません。相手の喜びを感じるには、自分自分という自分へのこだわりを捨てる必要があります。決して自分に何かを求めることなく、見返りを期待しないで、人に尽くす習慣を身に付けてゆけば、だんだん自分の殻、つまり自我が解けて、自然に周りと融和できるようになります。
| 最近自分の内面を見詰め直そうとしていますが、私自身長所が見つからず、生きていても仕方がない人間に思えてなりません。自分は相手にとって楽しい人間になりたいのに、いつもマイナス思考で暗く考えてしまい、何を話せばよいか迷っているので、相手をつまらなくさせてしまい人が去ってゆきます。どうしたら相手が私といて楽しいとか、元気が出るような人間になれるのでしょうか? |
長所とは「他人にどれだけ役に立っているか」ということを基準に判断していると思います。ですから自分にではなく、他人に役立つことを一生懸命やればよい訳ですね。そんな人を他人も自分も大好きになります。そうすれば楽しく生きられませんか?プラス思考になりませんか?いつも相手が楽しくなることを話せるようになりませんか?自分のため、自分のこと、自分さえという自分へのこだわりが、短所になり、暗さになり、マイナス思考になる原因だと思います。
あなたは相手を気遣っているようですが、実は自分の気持ちを気遣っているだけではありませんか?胸に手を当ててよく考えてみて下さい。相手を満足してあげられない自分を必死で守ろうとしているだけだと思います。それが自分へのこだわりです。そんな自分を捨てて、相手に興味を集中するようにして下さい。
無理に相手を楽しくしようと考える必要はありません。相手がどんなことに興味を持っているのか、相手の家族はどんな人たちか、相手の人は最近どんな行動をしていたのか、相手はどう感じているのか、相手は…、相手は…、そんなことで頭をいっぱいにして自分をなくして下さい。いつも相手に興味を集中できるようになると、自分が相手の心の中で感じ、相手の心の中で考えることができるようになります。そうすると相手が聞いて欲しいと思っていること、相手が言って欲しいと思っていることがだんだん判ってきます。それを話してあげて下さい。相手の心の中で自分が話しているという心境になれば完全です。
すぐにそれができるようにはなりません。自分をなくして、いつも相手の気持ちになって感じ、考える練習を繰り返しているうちに、だんだんそれができるようになってきます。一生懸命練習すれば、1〜2年で少しづつできるようになると思います。忍耐強くこつこつと続けてみて下さい。「プラス思考を習慣付ける」参照。
| 子供の頃成績が良くて流れに乗って受験勉強をがむしゃらにやリました。そして希望の大学に入ったのですが、気がついたらそこには普通に人とコミュニケーションもできない自分がいました。積極的にいろんなことに関わりを持とうとしたのですが、何をやっても人間関係がうまくいかず、エリートコースと呼ばれる道を自分から抜け出そうとしたのですが、そのことにもいまだにとらわれ続けていて、とても苦しいです。自殺未遂もしました。今は塾の教師をしていますが、社会から自分が隔絶されているような気がして世間から取り残されることに焦りを感じています。最近では体も壊し、うつ病もひどくなっています。 |
苦しみは学びの糧ですね。人より苦しむ人は、人より多くのことを人生から学べる人だと思います。自分と世間の隔たりを感じる、人間関係がうまくゆかない、という悩みは自分への過剰なこだわりによって起こります。受験勉強や学業成績だけを追求したことによって、大切なことを見失ってしまったのでしょうね。それと勉強に勝利してきた強い優越感が、劣等感の強い苦しみを生んでいると思います。それを解決する方法は自分を捨てること、つまり見返りを求めないで他人や社会に尽くすことです。そのトレーニングを繰り返すことで、自分と感ずる範囲を、小さな自分から、周囲の人を含んだ全体にまで広げることによって、徐々に改善してゆくと思います。くれぐれも理解ではなく、行動によって習慣化する必要があることに注意して下さい。
| 28歳になる大学院生です。大学では朝家を出て公園で一人ぼんやりする生活をしてきました。ほとんど引きこもり状態で、自暴自棄のような生活です。その間アルバイトもしてみましたが、友達などはほとんどできません。将来が不安で仕方ありません。この先どうしたらよいでしょうか? |
お友達いませんでしょうか?それも自立心という意味では、誰にも依存しないのですから、悪いことではありません。ですから無理に友達を作ろうとするのではなくて、自分が人にやってあげられることを一生懸命やってあげたらよろしいのではありませんか。そのときに自分に見返りを期待しないで下さい。大勢の人にたくさんのことをやってあげているうちに、自分の周りにだんだん人が集まってくることに気が付くでしょう。自分を捨てて、自分へのこだわりをなくしていって下さい。
無気力とやる気
| 進学校なのですが、通学に4時間もかかり、家に帰るとすぐ寝てしまいます。やる気の出る方法はありませんか。 |
通学に4時間かかる時間のない人の方が、時間のたくさんある人よりたくさん勉強できることを知っていますか。それは時間のない人が限られた時間を無駄にしないからです。要は時間の密度の問題です。勉強に集中するようにして下さい。社会人でもそうですが、仕事を一生懸命やっている忙しい人ほど個人の時間を有効に使って、国家試験などの色んな資格を取っています。そういう人はいつ勉強しているのか判らないくらいです。ところが仕事のできないだらだらした人は、いくら時間があってもただ無駄に過ごしているだけなのです。
眠くならない方法は、早く寝て、早起きして勉強して下さい。今はどうして勉強するのか良く判らないかも知れませんが、勉強をたくさんすると、大人になってからやりたいことがたくさんできるようになります。
| 浪人中の受験生です。受験日までいくらもないのに勉強する気が起らないのです。去年も勉強したから大丈夫という気があるのでしょうか、将来に真剣になっていないのでしょうか。 |
人間を行動へ駆り立ててゆく原動力は、夢(展望)と逆境の2つだと思います。そんな環境を自分で工夫して作ってください。それから集中力にはめりはりが必要です。だらだら勉強するだけでなく、ほかにスポーツなどで体を鍛えておくことが大切です。
| 学校を卒業しても何もする気がしなくて家でコンピュータゲームばかりしています。外出しようとすると体調を崩して寝込み、仕事をしようとすると下痢を起こして行けなくなります。そんな自分が不安で眠れないこともあります。我がままなのでしょうか。 |
無気力の原因として考えられるのは、自律神経系の障害と幼少期の家庭環境の2つあると思います。「外出すると体調を崩す」、「仕事をしようとすると下痢になる」というのは神経症かも知れませんので、一度心療内科に相談されては如何でしょうか。それと同時に、少しづつ散歩したりジョギングしたりして、先ず体を鍛えることが大切です。体が健康で生命力が充実してくると、だんだんやる気が湧いてきます。
次に幼少期の家庭環境の問題として主体性の喪失があります。これはご両親の責任なのですが、あなたも大人になればそうも言っていられませんから、もう親の世話にはならずに、自分の意志で自分の人生を生きられては如何でしょうか。1日も早く親の子を脱して、経済的にも自立するのが良いと思います。
| 「幸せになりたい」と思っているのに、現実的な努力が出来ません。何をやるのにも、「面倒くさい」という気持ちが、先に出てしまいます。自分の心を強くするには、どうしたら良いのでしょうか? |
何事も面倒くさくて努力をしないそうですが、未だお若いのでしょうね。そのような人生を続けてゆけば、歳をとって何もできない人になりますから、いつか確実に苦しみが訪れて、不幸のどん底を見ることになるでしょう。そのとき自分の人生を心から悔いて、勤勉さや誠実さの大切さを知ることになります。人間は失敗をしてみなければ、自分の過ちには気付かないものですから、どうかそのまま怠け続けて、早めにどん底を見られたほうが良いと思います。間違いに気付いたときには、山登りでもマラソンでも苦しいことに挑戦し続けて、先ずは忍耐力を養われて下さい。
困難
| 結婚8年目、同居の姑に散々なことを言われてきた挙句、義兄の借金の肩代わりで、毎日辛くて苦しくて泣き暮らしています。どうしたら困難に耐え心を強くできるのでしょう。 |
ご家族にお悩みの様子、大変ですね。しかし、もしご家族が誰もいなくて天涯孤独であったらどうでしょう。今の悩みはなくなりますが、きっと別の悩みが起きてくるでしょう。このようにいつも自分で悩みを作り上げているのが、自分のもの、自分のこと、自分さえという自我の心です。この苦しみをなくするには、自我の心を抑えて利他の心(慈悲の心)を習慣付ければよいのです。お子さんのため、ご主人様のためのみならず、お姑さんのため義兄さんのために、損得を度外して自分にできることを一生懸命やってみて下さい。自分を守ろうとすれば、敵の攻撃を受けて苦しみますが、自分を捨てて相手を受け容れることができれば、その苦しみは消えてゆきます。心を強くするというのはそういうことではないでしょうか。
| 人は落ち込んだ時、苦しみはずっと続くものではない、必ず抜け出せると言いますが、本当にどんな困難でも乗り越えられるものなのでしょうか。自分の可能性に疑問を感じます。 |
人間の感覚は相対的にできています。例えばお風呂に入ったとき、最初は熱いと感じますが、そのうち快くなってしまいます。そこへもっと熱いお湯が流れ込んでくれば、また熱いと感じます。苦しみもそうですね。世界中には戦争による死の恐怖や飢餓の苦しみと闘っている人たちがいます。かと思うと平和で豊かな日本では、失恋や人間関係に苦しんで自殺する人たちがいるのです。人間の苦しみには際限がないということですね。つまり放っておけば、いつまでも続きます。
ではどうすればよいかということが、仏教に説かれているのですが、一言で言えば、自分への執着や欲望をなくすることです。客観的には同じ状況が、ある人には苦しみとなり、ある人にはそうでなくなります。この2つを自分の心1つで切り替えられるのです。「プラス思考を身に付ける」参照。
| 生きていく上で敢えて苦労する事を選ばなくてはいけないものなのでしょうか?辛いことがあった場合、楽な方を選んではいけないのでしょうか?教えて下さい。 |
苦あれば楽あり。苦楽は表裏一体ですから、楽だけを選ぶことはできません。自ら楽を選べば、外から苦が与えられます。ですから私はあえて自ら苦を選びます。苦こそ人が成長する原動力ですからね。苦しみ、それはすばらしい人生の糧だと思います。人生を振り返ったとき、苦楽のどちらも感動そのものであったことに気付くでしょう。
プラス思考マイナス思考
| 辛いことばかりで、ふと自殺してしまうのではないかと思うことがあります。 |
辛いことばかりに感受性を高めてしまうと、そうなると思います。それは自分の思考の癖なのです。苦楽は相対的なものですから、苦あれば必ず楽があります。是非「よかった探し」をしてみて下さい。
ex.きょう交通事故で車をぐしゃぐしゃにしてしまった。でも全く怪我がなくてよかったよかった。今後運転に気をつけよう。
1日3個づつよかった探しをすれば、1年間で1000個になります。成功の鍵は休まないことと継続すること。そのうちきっとプラスの思考習慣が身に付くでしょう。「プラス思考を身に付ける」参照。
| 悪いことはすぐに忘れて、積極的なプラス思考をするため、良いイメージを思い浮かべたりしていますがうまくゆきません。具体的にはどのようなことをするのが一番効果的なのでしょう。 |
イメージトレーニングは集中力が必要ですから、集中力が身に付くまでは効果が出ないことになります。ですから言葉を使ってプラス思考を習慣化する方法が良いと思います。言葉にはそれぞれ固有のイメージがあります。「疲れた、大変だ、困った」といったマイナスイメージの言葉を使わずに、「充実している、やりがいがある、鍛えられる」といったプラスイメージの言葉を使うようにするのです。それらの言葉を集めて、自分の部屋に貼り出しておくのも良いと思います。このように、言葉の使い方をコントロールすることによって、プラス思考を習慣化することができます。こちらのサイトに「明元素」言葉として、プラスイメージの言葉が紹介されています。マイナスイメージの「暗病反」言葉も紹介されていますから、比較してみて下さい。「プラス思考を身に付ける」参照。
嗜癖[しへき]、依存症
| 主人が借金を繰り返し、その都度返済してきましたが、今回また500万円も借金を作られました。浮気をしたこともあります。主人の借金癖が一生治らないとしたら、一刻も早く2人の子どもと次の人生を再出発したいと思っています。 |
借金癖はその前に何かが欲しいという欲望があります。お金は何に使われるのでしょうか?それによっては依存症が考えられます。このような癖はよほど痛い思いをして、本人が直そうとしない限り、直らないと思います。もし奥さんがご主人様を直そうとするのであれば、痛い思いを何度も何度も繰り返して懲りさせねばなりません。離婚はそれなりの困難さがありますから、別居するなどして、できれば矯正の手段に留められた方が良いと思います。
それより見落としてしまうのはお子さんです。借金癖は親の責任です。お子さんが同じ失敗を繰り返さないためには、親が欲望の生活に浸らないことと、住宅など高額な生活必需品以外、決してローンでものを購入する習慣を身に付けないことです。信用は見えない麻薬なのです。麻薬に手を出してはなりません。
ご自分が欲望の生活を捨てることによって、ご主人様にも影響を与えることができると思います。依存症は「自立と依存」参照。
| 旦那には収集癖があります。最初は僅かでしたが今では置き場が自分の部屋と物置でも足りなくなって生活に支障を来たすようになりました。貯金もだいぶ取り崩しているようです。それ以外はとてもいい人なのですが、節度のない収集癖は何とかならないものでしょうか? |
人間の欲望には際限がありません。コレクションは所有欲ですね。パチンコや賭け事も同じことです。それはまず依存症が考えられます。しかしそれで借金を抱えるということでなければ、むしろ欲望としては可愛いのかも知れません。これを直そうとして、逆に悪い欲望に移ってしまってはかえって大変ですからね。もしご主人を理解してあげられるようであれば、我慢されるのが一番良いかも知れません。
もし無理やり止めさせたいのであれば、何か痛い目に合わせなければなりませんから、奥さんも負けないで、自分の欲しいものをどんどん買って部屋をいっぱいにするというのは如何でしょうか。なるべくご主人と同じ姿をされるのが良いと思います。そしてご主人に自分自身の姿を気付かせてあげることです。ご主人に注意されたら、「あなただってしてるじゃない。」の一言で良いですね。依存症は「自立と依存」参照。
| 私はパチンコがやめられなくて悩んでます。手元のお金が少なくなるとなぜか恐怖心がおきて すぐ消費者金融から借金をしてパチンコに行って、負けて帰って、それが怖くてまた借金をすることの繰り返しをもう5年も続けてしまいました。積もった借金が現在80万円にも膨れ上がってしまいました。こんな情けない話は妻にも言えず自己嫌悪に陥っています。こんな私に借金は断ち切り地道に返済をしていけるように何かよいアドバイスはありませんでしょうか。 |
ギャンブルは欲望の極地ですね。まずギャンブルの勝利体験が欲望をそそると思いますので、敗北体験でイメージ・トレーニングされては如何でしょうか。毎日寝床に入ってから寝るまで、パチンコで負けたときの印象を思い起こすのです。毎日毎日、日課にして何年か続けてみて下さい。次に欲望を抑制する力を養う方法です。タバコを吸うのであれば、毎週禁煙デーを設ける。毎週1日だけ、絶食日を設ける。座禅なども効果があります。次は欲望自体を減らす方法です。衣食住に必要な最小限のもの以外買わない。ブランド品など集めないということです。昔使った不要物はどんどん捨てて、身の回りを清楚にしておく。可能な範囲で、困っている人たちにお布施(喜捨)をする。お金や宝石などの財産を所有しない。勿論お金は、必死で節約して早めに返して下さい。依存症は「自立と依存」参照。
| 周りから「酒豪」とか言われ、いい気になって飲み続けた結果、とうとう肝臓を壊してしまいました。とにかく体がだるくてずっと二日酔い状態です。しかし完全に中毒になってしまっていて、「眠れないとか」勝手な理由を作っては意識がなくなるまでがぶ飲みしてしまいます。いけないと意識していてもやはり駄目です。入院もいやだしこんな自分が嫌でいっそ死のうかなとふと考えます。 |
死んでもお酒は飲み続けるでしょう。ですから死ぬことは解決にならないと思います。アルコール中毒は依存性に因るもので、何かに頼らざるを得ない衝動がアルコールを習慣化していると思います。ご両親の愛情は充分受けられましたでしょうか?もし愛情不足であればそれに代わって宗教への帰依をよすがにすれば、アルコールへの依存は減ると思います。もう1つ自分で自立心を身に付ける方法があります。私はその目的で1人登山を繰り返しました。初めての山だけを、自分の力だけで登るのです。
どちらにしても意志は必要ですから、「入院もいやだ」というのでは困ったものですね。
意思に代わるものはありませんので、それであればもっと苦しくなって切実性が高まるまで待つしかないでしょう。依存症は「自立と依存」参照。
| 私には祖父母からの遺産により、少ないながらも給与以外に収入と蓄えがあります。しかしながら以前の私の素行により妻が厳しく金銭を管理しているため、サラ金に手を出してしまいました。返済はできますが、妻はもう離婚しようといっています。当然の事だと思いますが、2歳と6歳の何も知らない娘が心残りです。私は今何を為すべきがお教え下さい。 |
何にお金をお使いになるのか判りませんが、欲望の生活に早く終止符を打たれたらよいと思います。身の回りにある無駄なものを全部捨てて、端正な生活をしながら、困っている人に貯めたお金を少しづつ寄付してあげて下さい。できれば宗教などの精神的な世界に興味を持たれるのが良いと思います。その決意を奥さんにお話になって、許して頂いては如何でしょうか。依存症は「自立と依存」参照。
| 義父は今、日雇いの仕事をしていますが、収入があっても家庭には入れず、全部ギャンブルに使ってしまいます。義母はパートタイムに出ていますが、生活費の足りない分を借金でまかなっています。先日義母の借金を主人の会社から借りたお金で清算し、義母から毎月返してもらうのはどう?と相談されましたが、私は反対しました。いくら貸しても義父母は自分達の生活を変えようとしないでいつも主人を頼ってきます。子供(主人の兄弟)は他に3人いるのですがそれを知らないようです。これからどうしたら良いか意見を聞かせて下さい。 |
その考え方でよいと思います。ご兄弟で申し合わせて、お金は工面しないほうが良いと思います。義父母さんが一生懸命やってそれでも足りないとか、病気で働けないというのなら、今度は義の問題になってきますので、貸すというより支えてあげなければならないと思いますが、道楽の手助けであれば、しないほうがご本人たちのためになるでしょう。しかしそれがもしあなたの実のご両親であれば、どのような態度を取られますでしょうか?感情的な隔たりが両者にあれば、ご主人様への説得力を欠きますので、その点は注意が必要です。
貞操感
| 私は色仕掛けなど考えたこともありませんがよくセクハラに遭います。レイプ寸前のこともありましたが、その時私は怖いと感じません。むしろ相手と気まずくならないように笑顔で冗談としてかたずけてしまう自分がいます。最近彼と付き合っていますが、浮気をするのではないかと持ち物や携帯電話を調べている自分が嫌になります。どうやって直せば良いのでしょうか? |
彼が浮気をするのではないかという被害妄想は、ご自分の中に浮気の要因があるからではないでしょうか。「レイプ寸前にもかかわらず、怖いとも思わず、笑顔で冗談と片付けてしまう。」というのは、そのような気持ちの表れではないかと思います。そのような貞操観は幼少期にご両親から受ける影響によるものだと思いますが、もし心当たりがあれば、ご自分で善悪の判断をして、自分の意思で防備を固める努力をされることだと思います。
| 仏教では不倫や不貞をどう考えるのでしょう。世間では男性の浮気を当たり前のように考えています。私が不思議に思うのは、日本の歴史でも一夫一婦制になったのはごく最近のことで、今でも一夫多妻制の国はたくさんありますね。 |
男女の人数比から考えても、一夫一妻が自然であることはすぐに判りますね。まずイスラム圏の一夫多妻と日本の封建時代の妾の意味を申し上げておきます。マホメットがアラーから受けた啓示に4人まで妻を持てるとありますが、これはイスラム圏の貧富の差を是正する目的が優先されたものと思います。一夫多妻は富める極僅かの人たちに限られていて、決して一般的に行われているものではありません。日本の封建時代の妾も世襲や政治の安定を目的としたもので、決して一般的に行われていた訳ではありません。今の雅子妃のような問題を回避する目的が優先されたものと思います。これらは不貞というより仕事に近いものですから、特殊なケースを一般化して、不貞を肯定すべきではありません。
次に仏教の不倫不貞に対する考え方は、戒律に不邪淫というのがあって、夫婦以外の淫らな交わりは戒められています。キリスト教でも同じですね。これは欲望に堕すことが成仏道に反するということだと思いますが、その理由を考えてみると、貞操感という人間の性心理の問題に関わっています。貞操感はただ1対の男女が相互に排他的所有関係を約束し合うという、自然が人間に与えている心理ですが、人間はそれによって1人の配偶者だけに深く関わることによって、愛(慈悲)の心を養成し、夫婦が育んだ愛は子供に伝わり、家庭や人間社会を築き上げる源動力になっています。このことが人間と動物の性を際立たせています。
もう1つ倫理の問題として、不倫は排他的所有関係を約束した相手に大変な苦痛を与えます。これによって殺人や自殺さえ起こります。相手に与える苦しみは、必ず因果応報としていつか償わなければならず、宿業という大きな負債を将来に繰り越すことになります。

その他
| 他の相談系サイトで相談者が「友達ができない」と相談しています。彼女は3度目の相談なのですが、アドバイスをしてくれる人にも反論して、かなりの反感を買っています。私は「人は誰でも変われる可能性がある。」というのですが、「私は変わらない。あんたは何もわかっちゃいない。」と返信があります。この人の態度は基本的に人を愛する気持ちがあるのか疑問です。どんな人でも変われると思うのは、おかしいでしょうか? |
人間は誰でも変われますが、それには2つのステップを踏む必要があります。1つは過ちへの気付きのステップ、もう1つは正しい行動の習慣化のステップです。その相談者は気付きのステップに障害があると思います。恐らく頑迷な信念が自己主張を生んでいるのでしょう。そのような人を今説得しようとしても争いになるだけです。ですからその場合、気付きを促す言葉を投げかけて、いつか自分の過ちに気が付くタイミングを待つしかないと思います。
しかしこのような人は一旦気が付くと、習慣化のステップは障害が少ないようです。人によって気付きと習慣化のどちらかに弱点があるようです。「自分は変えられる」参照
| 夫の女性問題でずっと悩んできました。そのような時いつも「我慢、我慢」「忍耐、忍耐」と心の中で言い聞かせては平静を保とうとします。そこでふと思ったのですが、この我慢と忍耐を私は同じ意味で使っていますが、文字を見ると何か違うものにも思えました。仏教の中ではこの二つはどのように違うものなのですか? |
「我慢」というのはもともと良くない意味の言葉で、強い自我意識から起る慢心(自分を高く見て、他を軽視する心)を指していたのですが、そのような慢心を戒める意味で「我慢、我慢」と言っているうちに、いつしか「我慢」を抑えるという意味から、「辛抱する」という良い意味に転じてしまったようです。そのように「我慢」が自我の欲望を抑制する意味で用いられるのに対して、「忍耐」というのは、他人の迷惑を許して受け容れることであり、それは慈悲心が源になっています。我慢は自我の妥協ですからストレスを受け、忍耐は主体によるものですからストレスがないとも言えます。ですから本来両者の意味は違うのですが、それを区別して用いることはないようです。
| おごりの心、慢心をなくするにはどうしたら良いでしょう? |
おごりの心は優越感によるもので、これは自我の防衛心や攻撃心から生まれます。優越感は同時に劣等感と表裏を為して、劣等感の苦しみを生んでゆきます。優越感、おごり、慢心をなくしてゆくには、行として人から最も蔑まれることを繰り返し繰り返しやることです。公衆便所の掃除とか、乞食が良いと思います。それを繰り返すことによって優越感に代わるかけがえのない自己を見出すようになります。それは思いやりがあって謙虚でつつましく素直な心です。
| 中学3年生です。私は表情がありませんが、学校で友達と居るときは適当に笑います。笑顔は人当たりを良くする為の道具のようです。笑顔だけでなく、色々な表情の仮面を付け替える毎日で、いつも仮面の下では表情はありません。表情とは何の為にあるのでしょうか?教えて下さい。 |
笑い顔と笑顔(えがお)は違います。笑い顔はふくれっ面や泣き顔と同じように、喜怒哀楽の感情が顔に出たものです。笑顔(えがお)は相手に対する思いやりの表情です。相手に快い思いをして頂くためのプレゼントが本来の笑顔ですね。日本の皇室の人たちを見て頂くと判るのですが、もし彼らがぶっちょう面で世界中の人たちに接していたら、焔さんはどう感じますか?日本人として恥ずかしくありませんか?地下道で徒歩の天皇陛下と偶然すれ違った知人が言っていましたが、心の底まで染み込んだ、すばらしい笑顔だったそうです。私達日本人を代表して、世界中の人たちに笑顔をプレゼントしてくれるから、私達はそれを見て自分の徳を感ずるのですね。笑顔は本来思いやりの表情なのです。しかし中には自分の利己性をカムフラージュするために笑顔を装う人もいます。そのような笑顔は一時的で、そういう人は表情がころころ変わります。「裏腹」とか「表裏がある」とか言いますね。凶悪な犯罪者が意外と愛想が良いのもこのためです。笑顔の合間に極悪非道の表情を垣間見ることができるはずです。大人になるとだんだん人を見抜けるようになりますから、自分も見抜かれないように、作り笑いなどやめて、心に優しさを持つ人になって下さい。
| 40歳を過ぎ、仕事では大勢の前で話す機会が増えてきたのですが、上がり性(あがり性)で緊張してうまく話ができません。人の目が気になって、ふだんは言える自分の考えをうまく表現できなくなるのです。自分自身にとらわれていることが情けないです。 |
人の視線が気になる、大勢の前で上がる、というのは自意識が過剰なのでしょうね。自分へのこだわりをなくせばよいのですが、そのために自分の外に興味を集中する訓練をされたらよいと思います。相手の様子、相手の興味、相手の仕事、相手の家族、相手の・・・、相手のすべてに興味を集中して、自分の気持ちに興味を向けないのです。座禅などで集中力の訓練を一緒にすれば効果が高まります。そして人前で話すときは自分にではなく、聴く人に興味を集中して、相手を感じながら話すようにして下さい。
視線ではなく相手の目が気になるというのであれば、相手の眼に自分の眼の焦点を合わせるのではなくて、相手を見ながら、自分の眼の焦点をずっと遠くに移動してください。それによって相手の目を自意識から外すことができます。

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