霊魂の考え方は仏教にはない? 


お葬式や先祖供養でおなじみの仏教ですが、意外にも仏教には霊魂についてはっきりと説かれていないのです。お釈迦様は死後の世界や輪廻転生や神の存在について、あえて何も説かれませんでした。ですから、今日本で行われているお葬式や先祖供養は、日本古来の霊魂観や儒教の考え方に基づいて、仏教宗派が固有に仏式の儀式を行っているものです。それでは仏教とは一体何の教えなのでしょうか。

 
人の苦悩を解決するのが仏教の教え 

仏教の始祖であるお釈迦様は、紀元前5世紀頃、インドの小国である釈迦族の王子として生まれました。とても感受性が高く、栄耀栄華に恵まれながらも「この肉体やこの若さは、私にとって何であるのか。生きていることにどんな意味があるのか。」と悩んだ挙句、その答えを求めて29歳で城を飛び出します。最初は師を求めたり、難行苦行を繰り返しますが答えが得られず、最後に死を決意した瞑想に入ります。「血も涸れよ、肉もただれよ、骨も腐れよ、悟りを得るまでは、私はこの座を立たないであろう。」そして35歳のある日悟りを得て、これまでのすべての疑問の答えを直感的に感得します。それを伝えていったものが仏教です。ですから仏教は、人の悩み苦しみの原因を知り、それを解決してゆく教えということができます。

 
四苦八苦 

仏教にはまず「一切皆苦、即ち人生すべてが苦しみである」と説かれています。その苦しみの中には「生、老、病、死」の四苦があり、その他に愛する人と別れなければならない苦しみ、怨み憎む者に会わなければならない苦しみ、欲しいものが得られない苦しみ、人の体と心に備わっている執着による苦しみの合計八苦があります。そしてそれらの苦しみを生む原因が、むさぼりの心、つまり欲望であるとされています。私達はお金が欲しいと思うから、それが得られないことに苦しみ、部長や課長を望むから、その地位が得られないことに苦しむのです。ですから欲しいと思わなければ、苦しみはなくなります。ところが欲望には際限がありませんから、自分の欲しいものが手に入れば、また別のものが欲しくなる、それが満たされればもっと別のものが欲しくなる。こうして人は苦しみの海を泳ぎ続けているのです。

 
縁起と因果応報の法則 

もう1つ仏教の大切な教えに縁起があります。すべての事象は空間的な依存関係や時間的な因果関係で成り立っているということですが、それは私達がすべての人たちに支えられ、蟻1匹落ち葉1枚のおかげで生きているということ、またすべての事象が原因となって次の事象(結果)を生んでゆくという帰結の法則なのです。それはまた、良い原因でも悪い原因でも自分が考え行動した結果は必ず自分に表れてくるという、因果応報の法則でもあります。「自分で撒いた種は、自分で刈り取らねばならない。」というキリストの言葉と同じです。自らの欲望によって人に与えた苦しみは、いつか必ず自分の苦しみとなって還ってきます。原因と結果が時間を置いてしまうことと、苦しみを与えた相手と苦しみを受ける相手が異なっていることから、私達にはこの法則が見えにくいのです。勿論善因善果で良いことをした結果も必ずいつか報われることになります。人の運不運は過去に為した原因の結果だったのです。

 
輪廻転生と宿業(カルマ) 

輪廻思想は、仏教以前からあった考え方ですが、それは仏教の背景にあって、仏教倫理の根幹を成しています。輪廻思想では、人は仏(完成した人間)になるまで生死を繰り返し、自らの不完全性を正す目的で何度も何度もこの世に生まれ変る、とされています。そして因果応報や依存の帰結は、宿業(カルマ)や人の縁として次の人生に繰り越されます。幸いにも近年、退行催眠や臨死体験、前世記憶などの研究によって、科学的な態度でこれらを理解することができるようになりました。それによると、人は自ら為した過ちを正すため、それに適した境遇を選んで、納得して生まれてくるということです。ですから、どのような境遇にあってもそれによる苦難には前向きに立ち向かい、それを解決してゆく態度が人生に求められます。苦難の原因を解決することによってのみ、人生の成果が得られるのです。