恋愛と結婚

恋愛すると相手から嫌われないだろうかと心配し過ぎて、結局どの付き合いもうまくゆきません。

自分が一方的に愛を受けたいという欲求が強過ぎて、相手があなたを避けてしまうのではないかと感じました。ですからまず自分のことは捨て、相手のために自分が何をやってあげられるかを考えたら良いと思います。それは見返りを求める取引であってはなりません。そのような与える愛は、ボランティア活動を通して、困っている人たちに尽くしてあげることでトレーニングすることができます。あなたが与える愛に満たされたとき、きっとすばらしい彼があなたに惹きつけられてくることでしょう。


好きな人がいますが、突然メールが来なくなりました。彼は私を男女を超えた友達と言っていました。私は彼があきらめ切れません。どうしたらよいでしょう。

逆の立場になって考えてみませんか。誰かがあなたを好きになって、こちらが乗り気にならないうちに、どんどん追いかけてきたらどう思いますか?きっと逃げ出してしまうでしょう。でもその彼が誕生日にプレゼントくれたり、こちらが困っているとき優しくアドバイスしてくれたりすると、いつか心が動いてしまいそうですね。何でもそうですが、自分を中心に考えると失敗します。
相手のタイミングで、少し時間をかけて攻めてみては如何ですか。


15歳年上の人と結婚を考えています。親は年差が大き過ぎるという理由で反対して、いつまでたっても許してくれません。家出をするしかありませんでしょうか。

女性から見ると年上の男性は収入もあるし、仕事もできるし、第一線のリーダーでしょうからとても魅力を感ずると思います。一方ご両親が反対される理由は次のようなものだと思います。
結婚は育った環境の異なる者同士が一緒に暮らしますから、なるべく環境の近い方がトラブルが少ないのです。15年の差というのは社会環境も教育環境もかなり違いますし、本人の精神的成熟度も違います。ご兄妹を当てはめて頂ければ判ると思いますが、15歳年上のお兄さんに自分の悩みを共感してもらえるかどうかという問題があります。もう1つの問題は老後です。男女の平均寿命を考えると、あなたは20年間1人寂しく老後を暮らさなければならない計算になります。長い目で見れば、女性には決してお勧めできない話であることがお判り頂けるでしょう。
しかし結婚は縁のものですから、一般論だけでは片付かないものもあると思います。もしご両親を説得されるのであれば、上記の危惧される点に絞って、どのように説得されるかよくお考えになって下さい。ご両親はあなたの幸せを願っておられるはずですから、納得すれば許されるのではないでしょうか。


40代で未婚です。絶対結婚しないということでもありませんが、無理に結婚する気もありません、親は誰でもよいから結婚とまで言います。仏教から見て結婚しないのは問題があるのでしょうか。

人は何故結婚を幸せと考えるのかは、人間1人では寂しく弱いがゆえに、結婚して家庭を持ち、親しい人たちと生活を共にすることで、孤独を癒し強さを得ていると思います。結婚によって人は強くなりますから、この先社会の荒波の中で生きてゆくことを考えると、人の親としては何としても自分の子供に結婚をしてもらいたいという気持ちになると思います。しかし仏教では人間が究極に求めるものは自立ですから、昔の求道者は家庭での幸せを捨てて出家しました。ですから一般論ではなく、個々の人生を考えたとき、結婚するかどうかは人それぞれで、必ず結婚しなければならないということはないと思います。自立した生き方がその人の人生に求められているのかも知れませんし、結婚する縁がないのかも知れません。そのすべてが自分の人生にとって意味のあることだと思います。他人の言うことは気になさらずに、自然体で天命を待たれればよろしいのではないでしょうか。


友達以上恋愛未満の関係がだらだら続いています。他の人と二股をかけるのは悪いことなのでしょうか。

物事には即座に白黒つけられるものと、解決に時間を要するものがあります。あなたの彼は、今無理やり白黒つけるのではなく、そのまま相手に期待をしないで放っておくしかないと思います。そして新しい彼も探されたらよいと思います。勿論二股は好ましくないので、新しい彼と親しくなって結婚を考えた時点で、グレーの彼とははっきり白黒をつけなければなりません。
あなたのご両親の時代は、同時に2人とお付き合いすることはあまりなかったと思います。未だ見合い結婚が主流の時代でした。今の恋愛結婚の時代では、結婚のきっかけを掴むのに、とても長い時間がかかります。若い貴重な時間を無駄にすることはできないと思うのです。ですからグレーの相手が何人かいることは、止むを得ないと思います。ある程度結婚を考える人ができたら、グレーの相手と付き合うのは止めるべきです。二股は自分が結婚を考えている相手の立場になれば、とても嫌なことだからです。


私の婚約者は私にとってかけがえのない人ですが、お互い長男長女でどちらも親を捨てられません。皆が幸せになるにはどうしたらよいのでしょうか。

時代の流れとしては、個人主義、核家族、少子化、住居移転が定着していますから、農耕民族の家制度は、もはや日本では成り立たなくなっていると思います。私は不勉強でよく判らないのですが、これからは狩猟民族の家族制度に習う必要があるのではないでしょうか。それまでの過渡的な対応ですが、問題は老後の両親の介護と先祖供養の2つあると思います。両親の介護については、長男長女に関わらず、誰もが抱える問題ですから、介護制度と併せて、生活に可能な範囲でやるしかありません。どこに住むかということは、将来いくらでも変わり得ますし、今はどこにいても距離感がありませんから、必要なときに同居すればよいことです。厄介なのは先祖供養ですが、「家先祖代々霊位」の考え方を、将来的には「先祖霊」といった包括的な考え方に変えてゆく必要があると思います。とりあえずは菩提寺にご相談になったらよいですね。いずれにしても、良いご縁は最優先しなければならないと思います。この世は生きている人たちのためにあるのですから。


婚約者が、過去に妻子のいる男性と不倫をしていたことが判りました。私自身彼女が初めてではないのですが、不倫をしていた妻の夫になることをどう思われますか。

心配されることを整理すると、次の3点になると思います。1つは相手のご家族に対する罪としての不倫ですが、それを知って結婚すれば罪を共有して償うことになると思います。2つ目は、性心理の問題ですが、女性の不貞は男性の不貞と違って汚らわしく感じます。その恥を共有することになります。しかし昨今の風潮を考えると、このことにはあまりこだわれないのかも知れません。3つ目ですが、1度犯した不貞は習慣化しますから、将来同じことを繰り返す可能性があります。しかし相手に打ち明けているということは、充分悔いているのかも知れません。以上の点を整理して、総合的によくお考えになって下さい。


私は恋愛でうまくいったことがありません。手相で結婚線が薄いとか名前が悪いとか言われたことがありますが、本当に縁がないのでしょうか。30歳間近になってあせりを感じます。

もし人の縁が少ないと感ずるのであれば、その要因は現在の自分の中に必ず見出せるはずです。人の結びつきを阻害するのは自我の働きで、人と人を結びつけるのは思いやりや慈悲の心です。人と良縁を深めたいのであれば、すべての人に思いやりを持てれるようになれば良いと思います。それを一生で考えるのではなく、悠久の流れの中で考えることができれば、たくさんの良縁を築くことができます。


私は性的に不能な30代の独身男性です。結婚して子供ができないことを考えると辛くて絶望的になります。カウンセリングも受けていますが、ふと自殺したくなることがあります。

人は皆荷物を背負って生きています。家族を養うことも、寂しさの代わりに背負う荷物の1つです。家族を背負うか寂しさを背負うかは、その人に与えられた境遇ですから、ご自分の境遇を全うされることが、ご自分の人生に最も意味のあることではないでしょうか。人生は人それぞれ皆違いますから、他人と自分の境遇を比較する必要はないと思います。人間一生と考えれば納得のゆかないことも、多生と考えれば納得がゆきませんでしょうか。


好きかどうか自分でも判らない、じゃれあう程度の異性の友達がいます。冗談なのか本気なのか、ストレートにHしようと言ってきます。そういう事に抵抗はありますが、一度失恋をしてから相手を失うのが怖くて、寂しいときにはそんな意志もくじけてしまいそうになります。今の状況はどう乗り越えたら良いのでしょうか?

男性の性心理と女性の性心理は全く違います。男性の欲望はとても汚く、相手は誰でも良いというより何でも良いのです。しかし女性は相手を選びます。ですから男性は汚い欲望を受け容れた不貞の女性を汚らわしく感じ、自分の妻にはしたくないのです。このように男性の貞操と女性の貞操では全く意味が違います。このような性心理の問題を法権利の問題と混同して、対等だと錯覚すべきではありません。
あなたの将来のご主人様を想像してください。そのご主人様への最大のプレゼントがあなたの純潔です。男性は自分の欲望を許すような女性を、心の中では軽蔑しています。大切な人であればこそ拒否すべきです。それで去る人は本物ではありません。ただ欲望のはけ口にあなたを利用したいだけです。
人には縁があって、恋愛してもしなくても、結ばれるべき人との出会いは必ずあるはずです。そのような縁の力に比べれば、人智はわずかな力に過ぎません。人間の浅知恵で自分の体を餌にすることはありません。



両親と一緒に九州に住んでいますが、東京の彼と結婚することを匂わすと、父は良いと言いますが、母は明らかに嫌な顔をします。弟がすでに結婚して同居するといっていますが、母と弟の奥さんの相性が悪く、住み慣れた場所を離れる気もないようです。私が東京へ行くと誰も両親の世話ができなくなるので迷っています。また彼とはネットで知り合ったのですが、両親は古い人間なので、それを知らせるべきかも迷っています。

人間はばらばらに色んな心が複合しています。親には子供が幸せであってくれればどこへ行ってもよいという思いやりの心と、自分の都合のよいように近くにいて欲しいというエゴの心があって、それらが葛藤しています。お母さんはエゴの心が強く働いているのでしょうね。でも自分のエゴが実現しても、一方でそれを悔いる心もありますから、お母さんのエゴを無視しても、決して義に反することはないでしょう。まして弟さんが近くにおられます。その奥さんと相性が悪いというのもお母さんのエゴの為せる技ですから、それを気にしていたらきりがないでしょう。ご自分の縁を一番大切にされたらよいと思います。
ご両親のことはあまり先まで考えるのではなく、ご両親が自活できなくなった時点で、最良の方法を考えればよいと思います。そのときには義が問われてきます。今は日本国内どこにいても数時間で目的地に行けます。テレビ電話でも入れて毎日顔を見せておいては如何でしょうか?通信料はこれからどんどん安くなります。あなたはご自分の人生をまず第1に考えて、年老いたご両親の人生は、あなたの人生に収束されてゆくべきだと思います。
最後に、ネットで知り合ったのは構わないと思いますが、相手の人間性や家庭環境が適切かどうか、親に良く判断してもらった方が良いでしょうね。自分では判らないことでも、経験的に判ることがたくさんあるでしょうから。



私は5歳上の従兄を好きになりました。従兄は離婚して子供が2人います。小さいころ私達は近所に住んでいて兄妹の様に育ちましたので、従兄は私を妹のようにしか思っていないと思います。従兄を好きになるのはおかしいのでしょうか?結婚は無理でしょうか?

兄弟のように育ったとありますが、幼少期から同居しているのでなければ、従兄妹を性の対象と感じるのは異常ではないと思います。近親結婚は遺伝の関係でなるべく避けたほうが良いと思いますが、そんな思いがあるのでしたら、何かの縁があるのかも知れません。ご家族の意見を別にして、気になる遺伝性の病気さえなければ、従兄妹同士の結婚が絶対ダメだということはないと思います。いつまでももやもやした気持ちで婚期を逸しても困りますから、ご自分の気持ちを従兄さんにお話になって、相手の反応を見られては如何でしょうか?それでダメなら、従兄さんは忘れましょう。いくら思い煩っても、そこに幸せはないですからね。幼少期の5歳差は、従兄さんから見ると、あどけない子供ですから、今でも性の対象として考えることが難しいか、あるいは時間がかかるかも知れません。


私は2人姉妹の長女ですが、彼が結婚の挨拶に来た時、父が「私達が死んだらお墓のことをよろしく頼む」と彼に頼みました。それを聞いた彼のご両親が「初対面の相手にお墓の事を頼むのは非常識だ。」と怒って、「お墓の管理は永代供養を頼めばよい」と言ったそうです。彼は2人兄弟の弟ですが、私の父はそんなに非常識なのでしょうか?

結婚は本人同士の問題のみならず、家と家の問題でもあります。結婚前にお墓の話をしておくのは大切なことだと思います。あなたの場合、むしろそれが結婚の条件にさえなるでしょう。その話を聞いて怒るような両親に育てられた彼は、将来の夫として大丈夫でしょうか?先祖供養はお坊さんの仕事ではなく、日々の家族の仕事です。人は年齢と共に先祖の大切さを理解するようになりますから、彼も変わるとは思いますが、そのことに賭けられる人かどうかよく見極めたらよいと思います。


20代の男性です。私には結婚を決めている相手がいて、そのご両親はとても良い人なのですが、お父さんの妹が暴力団の人と結婚していることから、私の両親は結婚するなら絶縁するとまで言って反対しています。本人の責任でもない理由で結婚を止めるのは相手に申し訳ないのですが、親や兄弟に迷惑を掛ける訳にもゆきません。このような場合、結婚は諦めるべきなのでしょうか?

結婚は本人同士の問題であると同時に、家の問題でもあり、親族の問題でもあります。叔父さんが暴力団員であれば、何か問題があったときには、親族が皆関わってきます。自分だけでなく、大勢の親族に迷惑がかかるということです。これは人間の偏見なのですが、ある会社で誰かが問題を起こせば、社員皆が同じ目で見られることと同じですね。偏見の是非はまた別の問題です。
もう1つ「類は友を呼ぶ」という考え方があります。先方の親兄弟には、反社会的な暴力団に関わる要因があるということで、その要因は彼女にも潜在している可能性があります。あなたは未だお若いので、それを見抜けないだけということも考えられます。ちなみに私の子供がそのような話を持ってきたら、私はあなたのご両親に近い態度を取るでしょう。



30代の独身男性です。先日お見合いをして、相手の人は明るく穏やかでとても良さそうな方でしたが、どうしても外見の印象が悪くてお断りしました。歳も歳なので相手に条件を付けられる立場でもなく、あくまで内面的な性格を重視しているつもりなのですが、実際は相手の外見をどうにも受け容れられません。この性格はどうしたらいいのでしょうか。

人には何かしら魅力があって、容貌もその一要素になるのでしょうね。実際には内面的なものが見えにくいので、外面の判断になってしまうのでしょうが、仕事を通して人に接していると、その人の内面のすばらしさが見えてきて、そうなるととても容貌で人を判断する気はなくなってきます。結婚生活は仕事以上に内面が大切になってきて、毎日見る容貌はあまり問題ではなくなります。むしろ容貌の良さにはある種の危険さえ感じます。結論を急がずになるべく長くお付き合いをして、外面を補って余りある内面的な良さを見出されるようにしては如何でしょうか。

 
不倫と浮気

妻子のある男性を好きになり離れられません。何故このような愚かなことをしてしまうのでしょう。

「袖擦り合うも他生の縁」と言いますが、そのように相手に強く引き付けられる場合、他生でよほど深い縁で結ばれた方ではないかと思います。あるいはご自分の大切なお子さんであったかも知れません。そのような大切な方であれば尚のこと、相手のご家族を不幸にするような行為は慎まなければなりません。「またいつか、何かの良縁で結ばれますように」と祈りながら、そっとお別れになったほうがよろしいと思います。1人1人の縁をどうか大切に、今生のうちに良いご縁をたくさん築かれて下さい。
その貯蓄が来世に生きてきます。「人の性と不倫が意味するもの」参照。


私には好きな人がいますが、その人には妻子がいます。でも私はうつ病で今その人が必要なのです。不倫はどうしていけないのでしょうか。

将来あなたが結婚されて、ご主人が他の女性と不倫をしたら、あなたは相手の女性に対して、どのような感情を持ちますか。殺したいくらい憎くはありませんか。つまり不倫というのは相手の連れ合いを傷付ける道義的な犯罪なのです。そして、その行為は宿業(カルマ)として、いつか償うことになります。現在の快楽を求めて、将来(来世)に苦しみを作るのが不倫だと思います。人間は自由ですから、不倫でも人殺しでもやっていけない理由はどこにもないのですが、自分がその行為を受ける立場になったときの苦しみを、いつか自分が感じて悔いなければならないのが人間倫理の仕組みだと思います。「人の性と不倫が意味するもの」参照。


主人が1年以上にわたって浮気をしています。私なりに一生懸命やっているのに、何が不満なのでしょうか。私は都合の良い家政婦にしか感じられません。もう1度私を振り向いてもらうにはどうしたら良いのでしょうか。

辛いですが、やはりここはじっと辛抱して、相手の女性に負けないように自分を磨くしかないと思います。それにはまず、「何が不満なのでしょうか?」という気持ちを「きっと何か不満があるに違いない!」という気持ちに切り替えて、自分を振り返らなければならないと思います。「ご主人様に自分が何をやってあげられるだろうか?」といつも考え続け、ご主人様を包み込んであげて下さい。そうすれば、今は浮気をしているご主人様もきっと受け容れられるのではないでしょうか。マンネリ化しているかもしれませんから、髪型を変えたり、服装でイメージチェンジを図っても良いと思います。そして一生懸命努力をされている様子をご主人様にさりげなくアピールして下さい。あとはご主人様が相手の女性とうまくゆかなくなるのを、待つだけです。「人の性と不倫が意味するもの」参照。


私は若くして結婚して3人の子供がいます。結婚何年目かに家族ぐるみのごたごたがあって離婚しました。その後好意を寄せる人と付き合いましたが妊娠中絶して別れ、今は妻子のいる彼と付き合っていますが、いけないと思いつつ寂しさのため別れられないでいます。本当は自分を必要としてくれる人に愛されたいのですが、この先誰かと出会えるのでしようか

あなたは人を頼り過ぎるようですね。ご主人と離婚されたのも、周囲の意見に振り回されたからではないでしょうか?そのように依存的で人頼りでは、悪い人に出会うと利用されるだけ利用されて、捨てられてしまうでしょう。その後付き合った2人の男性はその類ではないでしょうか。
あなたは自分のことより、まずお子さんのことを考えるべきだと思います。生活保護を受ければ、パートの収入でも生活はできるはずです。そして子供のために一生懸命生きられれば、その後ろ姿を見ながら育つお子さんは、きっとお母さんを助けてくれるようになるでしょう。人を頼って男性を遍歴するお母さんを、お子さんはどのように感じているのでしょう。今からでも遅くはありません。そのような不倫はすぐに止めて自立し、お子さんのために全力で生きられるのが良いと思います。女は弱くても、母は強いはずです。「人の性と不倫が意味するもの」参照。


結婚生活はとても幸せでした。昨年最後のチャンスと思い、主人の許しを得て憧れの海外生活を体験しましたが、その間に私には彼ができました。最初はその場限りのつもりがお互い本気になって、最後は泣く泣く別れて帰国しました。それ以来彼に悪いという気持ちから、主人とはSEXは勿論手さえも触れない状態です。主人と別れるべきか、このまま時間が解決してくれるのを待つべきか迷っています。

人間と動物の性の違いは何だと思いますか。それは貞操感です。人間は貞操感によって、唯1人の異性と交わることによって、深い結びつきつまり愛を育むようになっています。ですから不貞は、一時の欲望に自らを委ねることで、愛の道から外れてゆきます。それが習慣化すると、今はご主人だけですが、そのうちどの男性にも幸せを感じなくなるでしょう。
もう1つ配偶者のいる相手との不倫は、道義的な犯罪です。あなたがご主人に与えるであろう苦しみは、いつか必ず償わなければなりません。因果応報という学びの法則によって、不倫が間違ったことだと痛いほど納得するような境遇にいつか導かれるでしょう。それは時間が解決する問題ではありません。ご主人様に詫び、心から償い改める以外方法はないと思います。「人の性と不倫が意味するもの」参照。


私は30代の既婚の女性です。先日遠方から来た主人の友達を泊めたとき、主人が酔って先に寝た後、私はその友人と関係を持ってしまいました。その話はめぐりめぐって主人の耳に入るかも知れませんが、そうなったときに私はどう行動したら良いのでしょうか?やってしまったことが消えるわけではないとは思いますが、今の自分を殺して生まれ変わりたいほどに心が痛みます。

ご主人にそのまま恥をかかせておくのはまずいでしょう。ご主人は奥さんが大道でまたぐらをさらしたような辱めを受けています。それを知らずにそのお友達と交友を続けるのは、大変お気の毒なことです。そのようなお友達ですから、ご主人に秘密を作れば、また同じことを要求して、あなたも断れなくなるでしょう。平身低頭ご主人にお詫びして、すべてをご主人に委ねるのが良いと思います。「人の性と不倫が意味するもの」参照。


 
友達

仲良くしていた友達と絶交してから無視されたり逃げ出したりされて辛くなります。

友達に何かを求めている依存的な自分であるうちは、友達の態度が気になり、それに苦しみます。友達に何かをしてあげられる、自立した自分になれば、友達の態度に関わらず、自分を不動のものにすることができます。ですから不機嫌な友達をそのまま受け容れて、自分の友情を維持したままそっとしておいてあげれば、時間が解決してくれると思います。それで離れてゆく友達であれば、そのような縁なのです。相手に何も求めない、相手に与えるだけの自立した人は、人間関係に苦しむことはありません。そんな人を目指してください。「自立と依存」参照。


小6の子供のことですが、とてもしつこい友達がいて困っています。電話してきては切らせてくれないし、子供の持ち物で欲しいものがあると、こちらがあきらめるまで要求します。その友達とは別の中学に入学させたいのですが、どうしたら良いでしょう。

別の中学校へというのは逃げになりますから、考えない方が良いと思います。お子さんはこれからの社会生活で色んな人に出会います。嫌な人に出会う度に逃げ出す習慣を身に付けてしまっては、大変なことになるでしょう。しつっこい人に言い寄られないためには、毅然と断って優柔不断な態度を示さないことです。あまりしつっこいので仕方なく応じるという対応が一番まずいのです。そうすれば相手は、ますますしつこくなるでしょう。毅然と断って、てこでも動かない。それを何回か繰り返しているうちに、だんだん向こうから寄り付かなくなるでしょう。


高校生ですが、人間関係がうまくゆきません。自分が人間的に不足していることは判っていますが、私だけ別世界の人間のようで自己嫌悪を感じます。どうすれば良いのでしょう。

人間関係をうまくするには、お友達に心を尽くしてあげることです。そのときに決して見返りを求めないことが大切です。見返りを求めると駆け引きになって、それが人間関係を悪くします。見返りを求めないでずっとお友達に尽くし続けると、そのうちお友達も尽くしてくれるようになるでしょう。でも、それも期待しないで下さいね。とにかく、自分への期待が大きければ大きいほど人間関係を悪くするのです。


中学時代の友達がいます。この友達は口では何でも言ってねといいながら、私が人の悪口を言うとそれを言いふらして、そのため私は嫌われ者になりました。最近付き合わなくなると嫌がらせをするようになりました。高校では隣のクラスですが、これからどう付き合えばよいのでしょう。

「類は友を呼ぶ」ということわざをご存知でしょうか。人は似たもの同士が寄り集まってくるという意味ですね。その考え方からすると、その友達と付き合っていくかどうかは、2人の関係において判断するのではなく、自分自身で決まると思います。あなたがこれまでどおり人の悪口を言ったり、自分に何かを期待する依存的な人間関係を求めるなら、付き合ったほうが良いでしょう。自分が自立して、友達に思いやりを持って何かをやってあげられる人になるのであれば、近付かない方が良いと思います。中学高校と進むにつれて、人はだんだん自分固有の道を歩むようになります。それと共に近寄る友達も変わってくるのが普通です。


本当の友だちって、どういう関係を言うんでしょうか?私には本当に心から私のことを心配してくれる友がいません。本当の友が欲しいです。どうか教えて下さい。自分がどういう人間になれば、どういうつきあいをすればそういう友達ができますか?

本当の友達は、何かをしてもらいたいという依存的な関係ではなくて、自分が相手に何をしてあげられるかという自立した関係だと思います。「本当の友が欲しい」という自分の欲求ではなく、自分が本当の友になってあげられたとき初めて、本当の友が得られると思います。
自立と依存」参照。


中学3年男子ですが、最近一番仲の良い友達が離れていって、休み時間には1人でいる事が多くなりました。自分の周りでいじめを受ける人がいたりするのを見ると、人間関係が自分の精神を削っていって、この先の自分の歩む道(人生)が心配です。

学校でも社会でも、人間関係をうまくやってゆく要因は、自立と思いやりの2つです。自立というのは相手に依存しないこと、つまり相手に何も期待しないことです。友達など誰もいなくても、自分1人で何でもできるようになってください。もう1つ必要なことは思いやりです。見返りを求めずに人に尽くしてあげられるようになって下さい。この2つが身に付けば、人間関係に悩むことはなくなります。大人になるとだんだんそれが身に付いてゆきますから、将来は心配しないで下さい。今の悩みは、自立と思いやりを身に付けるための練習課題ですからね。「自立と依存」参照。


昨日、私は友達と一緒にお祭りに行きました。私は帰るとき、「もう帰るね」と言って別れたはずだったのに、今朝「勝手に帰ったでしょ?」とか言われ、そのあとはひたすら友達に無視されました。誤解を解こうと必死に謝りましたが聞いてもくれず、私の噂を皆にばら撒いています。私はどうすればいいのでしょうか。

そのようなお友達は気にしないで放っておきましょう。お友達はとても良い勉強相手なのですね。「反面教師」という言葉がありますが、自分はお友達のような態度は絶対に取らないようにして下さい。自分が人の悪口を言うことがなければ、人のうわさなど何も気にならなくなります。あなたが反省すべきことは、コミュニケーションのエラーです。自分の言ってるつもりと、相手が受け取った内容は全く違いますから、相手が自分の趣旨を正しく受け取ったかどうか、いつも相手の様子に感受性を高めておいて、自分の表現力を磨かなければなりません。そうしないと、いつも「ああ言った、こう言った」というトラブルを引き起こします。


 
職場の人間関係

会社にとても嫌な年配の人が入ってきました。その人は私を無視して挨拶もしませんし、乱暴な口の利きかたをします。会社の人間関係って嫌な人とも仲良くしなければならないのでしょうか。

人間関係を発生させないコツは、相手に何も期待しないことです。あなたはまず挨拶することを期待していますね。自分が無視されないことを期待していますね。丁寧な口の利き方を期待していますね。そういうことを全く期待しなければ、相手の非常識と自分の感情が結び付くことはなくなります。そしてそんな人にも自分のやるべきことは誠実にやってあげることです。自分の行動が相手によって条件付けられないことが大切です。そうすれば人間関係で悩むことはなくなります。「自立と依存」参照。


会社生活30年、1人の先輩が天敵のように私に不利益なことばかりします。この戦いにもう疲れてしまいました。

人の縁には良い縁もありますが、悪い縁もあります。「汝の敵を愛しなさい」という言葉は、悪い縁であればあるほど、良い縁に変える努力をしなければならないということだと思うのですが、なかなか難しいことでしょうね。もしそれができるようでしたら、天敵のために一生懸命尽くされて下さい。それによって悪い縁は断ち切れると思います。


人とコミュニケーションがうまくとれず、不快感を与えたままそれを解くこともできません。頭も悪いため、誰でもできる仕事をミスしてしまいます。脱力感で生きている感覚がありません。

まず、人とコミュニケーションがうまくゆかないと感ずるのは、自分への執着が強過ぎるからだと思います。自分を捨て、いつも相手の心の中で自分が考えるようにすれば徐々に解決するようになります。とは言っても言葉だけでは難しいので、誰か困っている人の手助けを繰り返してみて下さい。自分の目的を絶ち、自分が困っている人の目的になりきる訓練をすれば、だんだん自分への執着がなくなってゆきます。
もう1つ、仕事の脳力が低いことも実は自分への執着が原因しています。執着は思考に慣性を与えます。その思考の慣性が頭の切り替え即ち頭の回転を妨げるのです。ですから自分への執着をなくしながら、集中力のトレーニングをすれば、脳力は高まります。このようにあなたの問題の解決方法はいくらでもあります。脳力開発については市販書もたくさんあります。どうか大切な人生を精一杯生きられて下さい。


協同組合の職員ですが、職場の不満や愚痴を親しい理事に話したら、それが理事長に伝わって注意を受けました。理事にその旨聞きただすと、「そのような言い方はしていない」と返されました。

厳しいお応えになりますが、誰が悪いのでもないと思います。因果応報ではないでしょうか。人の悪口や愚痴は、言ったが最後必ず自分自身に還ってきます。ですから誰にも言うべきではありません。職場に不平不満を感じる自分自身を振り返る必要があると思います。「自立と依存」参照。


自分の担当部署の先輩が転勤になり、頼れる人が誰もいなくなりました。自分はリーダーではないのですが、これからは皆をまとめながらチームを機能させてゆかなければなりません。

リーダーがいないのであれば、あなたがしっかり自立して、皆から頼られる存在になって下さい。そのためには先ず自分のやり方にこだわらず、会社や自部門の目的と人員構成から、いつも創造的にやり方を考えてゆくことです。過去の習慣で仕事をしようとすると、環境変化にうまく対応できません。
そして自分の仕事だけでなく、部門全体がうまくゆくようにいつも気を使ってください。部門全体を気遣うと、他のメンバーとのコミュニケーションが必要になります。あなたは責任者ではありませんから指示はできませんが、積極的に役割分担は提言できるはずです。
ひがむ人や逆らう人が出てきたら、優しく見守ってあげて下さい。それらの人たちにはあまり期待せず、自分が人の2〜3倍仕事をするつもりになれば、怖いものはありません。誰よりも一生懸命仕事をすれば、同僚は尊敬の念を抱きます。その実績があなたのリーダーシップを形成してゆきます。大変でしょうが、それによって自分の能力も高まります。どうか頑張って下さい。


会社の役員ですが、派閥抗争で悩んでいます。会長派と社長派が争っていて、私はどちらからも声を掛けられていますが、どちらにもお世話になったので、苦慮しています。

組織への参加の仕方は、2通りあるそうです。組織に属する人と、人に属する人です。秀吉は信長という人ではなく織田家という組織に属し、三成は豊臣家ではなく淀君という人に属したそうです。これは人から聞いた話なので、何かに書かれているものの又聞きになるかも知れませんが、なるほどとうなずけるものがあります。あなたはどちらを選ばれますか。人に属して誰かをひいきにするか、それとも組織に属して、人には是々非々を貫くか。出世にも関わるでしょうが、それはその人の生き方の問題だと思います。


人間関係はお互い様だと思って我慢をしながら会社勤めをしてきましたが、ほとほと嫌になりました。人は日和見主義でうわべだけなのでしょうか?真面目に裏表なく生きてる人が煙たがれ、調子良く口裏を合わせ、別の所では人の悪口を吹聴するのが処世術なのでしょうか?自分がそれに合わせられなくて、敢えて孤独な道を選んだのに、それで変わり者呼ばわりされるのはちょっと辛いです。

相手に依存し相手に何かを期待していると、人間関係を生じそれに苦しみます。変わり者呼ばわりされないことを期待しなければよいのではありませんか。私は自分が変わり者だと自分で言っています。その上相手に思いやりを持てるようになれば、孤独でもなく、人間関係に苦しむこともなくなります。
真面目に裏表なく生きることは、あくまで自分の生き方であって、人の生き方とは無関係ではないでしょうか?人の生き方を気にする必要もありませんし、自分の生き方を変える必要もありません。自分の存在が他人に条件付けられている間、そのような悩みは付きまとうでしょう。環境から自分が自立することが大切です。「自立と依存」参照。


自分には人望がなく、仕事でも人をまとめたりすることが苦手です。どこかでそういう能力にあこがれていますが、そういう能力のある人に嫉妬を抱き、自分の幼さを感じます。

「最も大いならんと欲する者は、すべての人の僕となるべし。」これはキリストの言葉ですが、相手のために尽くせる人が人望の条件になると思います。それは逆の立場で考えれば納得できますね。そのためには、自分自分という自分へのこだわりを捨てて、自他を超えた全体の目的を自分の目的にすることができるようになることだと思います。


従業員数人の小さな会社にパート勤務して2ヶ月になります。一番年上の女性で社長にお気に入りの人がいて、入社初日その人から他の女性の悪口を聞かされました。その人は私のやることにもいちいち口を挟んで、私を否定しては社長に告げ口をします。もう少し経ったら辞めようと思っているのですが、私は甘いのでしょうか?

そういう人がリーダーシップをとってしまうと、職場のモラールが上がりませんね。女性の職場の傾向として、特に人事異動がない小規模の職場では、影の実力者が職場を牛耳って、癌になることが多いようです。あなたが自立していて、その女性に依存する必要がなければ、当たらず触らずに接していればよいと思いますが、そのような人は得てして自分をひいきにしない人をいじめますから、それにどれだけ耐えられるか、あなたの自立心にかかっていると思います。人間社会はどこでも似た傾向がありますので、トレーニングと思って、我慢できることは我慢したほうがよいのではないでしょうか。「自立と依存」参照。


50近くになっても、会社での存在感がなく、以前部下だった人たちから嫌みを言われたり、偉そうな態度を取られます。仕事は誰にも負けないつもりでいましたが、何か人間関係に敗北したのだと思います。こんなことになってから、力のある人にへつらったり、誰かの失敗を喜ぶようなつまらない人間になった気がします。いっそ辞めようと思いましたが、家族の反対や次の仕事のあてもないので、バカに徹する決心をしました。欲を捨てたつもりでも回り人たちが羨ましくてなりません。こんな私がもう一度会社で復活できるのでしょうか。

私達は子供の頃から、人間関係の中で競い合って、その勝利がすべての価値であると思い込んでいます。会社の中でも架空の権威構造をめぐってそれが繰り返されます。しかし人間の価値はそのように一面的なものでしょうか?ご自分の人生はそれでよろしいのでしょうか?人生半ばになったら、ご自分の人生を探されたら良いと思います。人生の意味、人生の目的を考えて、ご自分の社会での役割を、周囲との比較によってではなく、自分自身の中に見出されたら良いと思います。役職といった架空の権威ではなく、本当の権威も見出されると良いですね。職場の中でご自分の人生を見出して何か1つでも主体的個性的に行動するようになれば、その結果はきっと今とは違ったものになるでしょう。羨望は際限のない欲望ですから、比較の世界で復活しても、苦しみは尽きることがないでしょう。ナンバー1ではなくオンリー1を目指して下さい。


仏教系の大学を卒業して就職してから3年になります。仕事を覚えると共に入社したころの熱意は薄れて、惰性で仕事をするようになりました。だんだん判ってきたのは、人の心がいかに汚いものかということです。自分が正直すぎるだけかも知れませんが、とてもそんな人たちについてゆけません。精神的にも肉体的にも疲れてしまい、もう1度大学で修業をして精神的に鍛え直してから社会復帰するほうがいいのか迷っています。

人と自分を比べる必要はありません。人が上長のご機嫌取りをしたり、要領よく評価されたとしても、自分は心の豊かさを求めて誠実に生きればよろしいでしょう。それは目先の得を選ぶか、永遠の得を選ぶかの違いに過ぎません。そういうことは醜い社会にいるほうがよく学べるのではありませんか?人の心が汚く見えるのは、自分の心にも醜さがあるからでしょう。もっともっと自分の心に美しさを育てれば、人の心の美しさにも感動するようになると思います。蓮の美しい花は泥沼に咲くではありませんか。「自立と依存」参照。


慣れない営業の仕事に配置転換され、かっての後輩が上司になりました。皆の前で「バカだアホだ最低だ」とののしられ、慣れない仕事と新しい上下関係に適応できず、もう会社に行くのが嫌になりました。私を応援してくれる人もなく、孤独と劣等感に立ち向かう毎日です。こんな自分から脱出するには、どうしたらよいのでしょう。

後輩が上司になって変わったのは、立場が変ったからでしょう。後輩でも上司になれば、自部門の成果に責任があります。上司はそのまた上司に叩かれています。企業の外側は戦いの場ですから、内側に厳しさがなければ、外では戦えません。厳しさの表現は人によって違いますし、未熟な上長もいるでしょう。しかし経済社会に参加している以上、企業の外側で弱い企業が敗れるように、企業の内部でも弱い人が敗れるような力が働くのは自然だと思います。
弱い人というのは環境変化に適応できない人、つまり自分を変えられない人です。あなたの相手は後輩の上司ではなく、自分自身の習慣ではないでしょうか?自分自身の習慣と闘って、自分を変え得る人になったらよいと思います。市販のビジネス書に自己改革に関するものはたくさんあります。皆似たようなことで悩んで、それを乗り越えて成長しています。どうか頑張って自分自身に挑戦されて下さい。「自分は変えられる」参照。


職場で陰口や噂話をされて、最初は聞き流すようにしていたのですが、最近はあからさまな態度で私を避けたり、冷たい態度を取られるようになりました。職場にいるのが気まずくて、出社拒否のような身体の症状も出ています。このまま我慢して、解決するのを待つべきでしょうか?それとも煙たがられてる人間は、去るべきでしょうか?

私は陰口や悪口をいくら言われてもほとんど気になりません。逆に「私の悪口をどんどん言って気晴らしをしなさい。」と言っています。どうして気にならないのかというと、私は隠れて陰口や人の悪口をほとんど言わないからです。その人に問題があれば、面と向かって堂々と言います。勿論相手、場合(タイミング)、言い方はわきまえるのは当然ですね。自分の陰口に耐えられないのは、自分も人の陰口を言っているからですから、それは聞き流すといった一時の我慢の問題ではなくて、自分自身の忍耐強い自己改革の問題になります。陰口は何故こそこそ言うのかというと、そこには自分自身のエゴに対する後ろめたさがあるからです。相手に思いやりを持てるようになれば、相手の問題点は正面からちゃんと指摘してあげられるようになります。そのような自己改革に挑戦されて下さい。

 
人事、転職、失業

辞令が出て、華の営業から内勤に変わります。失格の烙印を押されたようで落ち込んでいます。

期待外れの人事は確かに失望しますが、本当に能力のある人は環境から自立していて、どのような人事を受けようと自分の態度は不変なのだと思います。これを飛躍のチャンスにできるかどうかが、今問われていると思います。どうか頑張って下さい。


管理職になる打診を受けています。人の上に立つのは向いていませんが、やってみたい気持ちもあります。

人の上に立つには自分のエゴを抑えて、自分を犠牲にしてゆかなければなりません。それができないと、どこかに破綻が起こります。そういうトレーニングを自分自身に課すことによって、人間的に成長することができます。それは同時に、すべての人間に課せられた普遍的な課題でもあると思います。是非挑戦されて下さい。


教員を辞めてある会社で末端の仕事をしています。教員だったプライドがあって、つまらない仕事がとても辛くノイローゼになりそうです。

プライドは優越感です。優越感は劣等感と表裏一体ですから、優越感のあるところ、必ず劣等感の苦しみがあります。劣等感の苦しみは、優越感を捨て去ればなくなります。自分の優越感を捨て去る1番良い方法は、少々突飛ではありますが、乞食をすることだと思います。みすぼらしい身なりをして、1軒1軒家を回ってお金を乞うてみて下さい。あるいはボランティアで、人が最も蔑む仕事をやってみてもよいと思います。それを繰り返すことによって、プライドに代わる確固たる自己を見出すことができるようになります。


福祉施設へ転職して1月半ですが、仕事が想像以上に大変で、辞めようかどうか迷っています。前の職場にも親にも顔向けできませんが、辛くて仕方ないのです。

「石の上にも3年」と言いますが、仕事に慣れて思うようにゆくまで誰でも3年はかかります。1ヶ月というのは、体も慣れていないし、覚えることもたくさんあるし、一番大変な時だとは思いますが、人間の順応性はすばらしいもので、どんな仕事にもそのうち慣れる力を持っています。最初は身を切る思いでも、3年経てばエキスパートになるでしょう。もし今辞めたら、挫折の習慣が身に付いて、いつも仕事を辞めるようになると思います。忍耐は人間にとってとても大切なもので、忍耐と時間が人に偉大な力を与えるのです。しかし、いやだいやだと思いながら忍耐しては、ストレスが蓄積してしまいますので、プラス思考の工夫はされて下さい。


長く勤めた大手企業を辞めて、中小企業に再就職しました。収入は減り労働時間は長くなりましたが、前職が管理職だったプライドが邪魔をして、転職を悔やんでしまいます。

組織が主体性を確保するために作り上げている架空の権威、それが役職です。それが自分の力だと錯覚して、おごり高ぶっているのがプライドです。今その架空の権威を失って、本当の自分の姿を見ておられる訳ですから、これを機会に本当の権威が何なのかを、よくお考えになって下さい。私の大好きな言葉です。「最も大いならんと欲するものは、すべての人の僕(しもべ)となるべし。」・・・キリスト。新しい職場、是非頑張って下さい。


大企業に勤める技術者です。仕事には自信があり、慢心もありました。長い間の天敵が上司になり、私のプライドを傷付け、締め出しを図っています。給料をもらうだけの会社生活には耐えられないので、辞めようと思っています。

大企業はその大きさゆえ、主体性の確保にすさまじいエネルギーを使います。経営トップに求心力がなければないほど、抑圧によって主体性を確保せざるを得ず、足の引っ張り合いや、減点主義評価で、多くの能力が抑えられてゆきます。ですから、もしあなたが中小企業に移れば、きっと今の技術力を生かすことは充分可能だと思います。しかし、ある程度の年齢になると、技術力よりも指導力や対人スキルのほうが求められてくるのではないでしょうか。あなたが感じているプライドの苦しみは、自分の技術力におごり高ぶってきた因果であろうと思います。優越感は劣等感と表裏一体で、プライドによる苦しみは、優越をもつ者が感ずる劣等の苦しみなのです。ですから優越を感ずる過去の実績をすべて捨て去れば、その苦しみはなくなります。もしあなたが、これまでの反省に立ってご自分の足りない部分を補ってゆく気があれば、プライドの元である技術はもう捨てて、心機一転して営業部門に希望転属ということも可能ではないでしょうか。
私はあなたがそこで学ぶべきことは、未だたくさんあるように思います。増して、今退職しては、策謀する天敵の思いのまま操られることになるではありませんか。もはや社内の相対分別の渦に巻き込まれるのではなく、自分自身の人間的成長を目指して目標を転換されては如何でしょうか。私であれば、どんなに苦しくても、天命が下るまではそこに留まって、苦しさの中から学ぶべきことを学びます。それが、策謀者に対する勝利ではないでしょうか。


今回の人事で、エリートの集まりであるビッグプロジェクトに栄転になりました。私は負けず嫌いでこれまで頑張ってきましたが、会社は年功序列で、一生懸命仕事をする人もいいかげんに仕事をする人も給料はほとんど変わりません。一生懸命仕事をすることに疑問を感じています。

私達はオリンピック選手や、スポーツ選手にあこがれますね。彼らがどれくらい苦しいトレーニングを繰り返してきたか、想像がつきますでしょうか。つまり、苦しみを乗り越えることのみが、私達に成果をもたらすということです。仕事もそうですね。困難を乗り越えることによって、私達はかけがえのない力を得ることができます。もし自分が力をつけることに価値を感ずるのであれば、収入は給料だけではないのです。要領よくできるだけ楽をしながら仕事をするか、仕事を通して自分に実りを求めるか。それはその人の生き方の問題だと思います。あなたがもし後者の生き方を選ばれるのであれば、今回は絶好のチャンスではないでしょうか。何も考えずに、ただ全力を尽くされれば良いと思います。


40代のサラリーマンですが、異動で職場が変わるたびに新しい仕事、新しい人に変わって仕事がうまくゆきません。同期はほとんどが管理職になりましたが、私は管理職になれないことが判りました。家族は頑張れ頑張れの一言ですが、どのように心の整理をつけたらよいのか判りません。

学校は学業成績で人を評価し、会社は会社の都合で人を評価します。そのように外から与えられた一面的な基準を自分の目標にするのではなく、自分の人生なのですから、自分自身の中に目標を持たれては如何でしょうか。自分の人生の意味を考え、職場を通して自分にしかできないオンリー1を探して、それを自分の目標にされたら良いと思います。つまらない管理職への羨望などはもう止めて、自分が主体的に行動するようになれば、悩むことなどきっとなくなるでしょう。


外国で金融機関に勤めていますが、近くより大規模な金融機関と合併することになりました。私の属する部署は合併後も形を変えて残ることになったとはいえ、業務の範囲や組織、職権が変り、業務のやり方全てにおいて先方に合わせなければなりません。こんな状況下、自分の能力を十分に発揮するにはどうしたら良いか、アドバイスをお願いしたいと思います。

企業の違いは、目に見えるシステムもそうですが、目に見えない社風(企業文化)に違いがあります。それは人の交流に於いて、価値観の違いとなって表れます。ですから合併後暫くの間は価値観の衝突(葛藤)があると思いますが、力関係の強いほうに収束されてゆきます。ですから相手の企業文化をよく見極めて、そこへ転職したつもりになっておやりになっては如何でしょうか。現在の企業文化の捨て難い部分は、あなたの個性として発揮されたら良いと思います。過去に執着せず、創造的に対応してゆけば、何も心配することはないでしょう。


会社の経営状態が悪化して、それを見切った先輩が相次いで退職し、その仕事が回ってきました。辞めた人の多くは精神的負担によるもので、私もこの半年、仕事のことを忘れて眠れたことがありません。この会社に勤めて2年でしかないのですが、こんな状態が続くのであればこの会社は見切ったほうがいいのかなと思うことがあります。いくら不況と言っても真面目に仕事を探せば何とかなるのではないでしょうか。

経済社会は戦いの場ですから、どの仕事もそれなりの苦しさはあります。私も若い頃は、夢の中で仕事をしていた記憶があります。1週間に1〜2日お休みは取れるのですね。お休みが取れればその間によく気分転換をされ、鋭気を養われたら如何でしょうか?仕事は受身になるとストレスが溜まります。自分から進んでやる気になれば、ストレスは溜まりません。仕事の中に自分の目標を見出せませんか?その辺の工夫もしてみて下さい。
自分のやりたいことがあるのなら別ですが、今の仕事から逃げ出して新しい職場に変わっても、仕事は1から覚え直しですし、全く異なる職場の文化に入り込まなければなりません。自分が変わらない限り、どこへ行っても辛いことになると思います。


リストラにあい無職になってしまいました。親と生活しているのですが、お金がないと親は嘆きます。私は家の仕事を手伝いながら、1人のときは布団に包まり。お金がかからないようにしてます。職安にいきながら資格の勉強をしていますが、先は長そうです。私がどこか遠くに逝ってしまえば…

求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かるるなり。
これは聖書の言葉ですが、「本気で求めれば必ず与えられる」という意味と、「行動しなさい」という意味の2つが込められていると思います。このような姿勢は神のみならず、人をも動かすでしょう。「人間は自分が思うとおりになる。」と言われます。つまり、ダメだと思うからダメになるのですね。最後まで絶対にあきらめない忍耐が成功の鍵だと思います。

 
仕事

会社勤務30年になりますが、世の中や仕事の変化についてゆけず、自分の能力のなさを痛感しています。

確かに専門分野で若い人と対等になるのは難しいと思いますが、これまで培ってきた、幅広い知識と経験があると思います。それを生かして、若い人を助けてあげられませんでしょうか。ベテランには、若い人にはない社会的価値が必ずあるはずです。そこに磨きをかけてゆかれたら良いと思います。悩み苦しみには必ず意味があると思います。真っ直ぐ進めないなら、ちょっと別の道も探してみませんか。


大手企業の派遣社員ですが、何度聞いてもなかなか仕事が覚えられません。どうしたら飲み込みの早い仕事のできる人になるのでしょう。私は何が劣っているのでしょうか。

人には皆一長一短がありますから、同僚や社会のために、まじめに一生懸命やっていれば、仕事の速度だけで一面的に評価されることはないと思います。しかし、脳力を高めることは良いことなので、それも試みて下さい。お仕事は定型業務だと思いますが、仕事ができるようになるには、頭の回転力と記憶力を高めるために集中力を養えばよいのです。集中力は思考を止める力、何も考えない力です。「脳力開発」や「集中力」をキーワードにWebや本屋さんを探してみて下さい。色々な方法が見つかると思います。座禅などの瞑想もその方法の1つです。
もう1つ記憶力を高める方法として、「言葉で覚えるのではなくて、体で覚える」ということがあります。仕事をよく見て頂くと判りますが、頭を使うのは実際には僅かで、大半が体を動かす作業の連続です。それを言語で記憶するのではなく、自分が行動した印象で記憶するとよく覚えられます。人間は言語や論理を記憶するのではなく、イメージや印象を記憶するのです。人の話を聞くときは、即座に頭の中で行動をシミュレーションして、その印象を記憶する習慣を身に付けて下さい。それから仕事の遅い人の中には、衝動的に動き回るため、行動の合理性を見出せない人もいます。自分の行動を客観的に見つめ、合理性を見出して、それを行動の中にねじ込んでゆく意思が必要です。人間は理想を持てばいつかそれが実現します。少々時間はかかりますが、どうかご自分の理想像を描いてじっくりとご自分にチャレンジされて下さい。「脳力開発」参照。


上司から無理難題ばかり押し付けられ、やりがいの無い仕事を土日も夜遅くまでしています。仕事の進捗も芳しくなく、いつもピンチで心臓がドキドキして夜も眠れません。転職も考えるのですがそこそこ給料はよく、子供がまだ小さいので不景気な今転職まで踏み切れません。もうストレスもかなり溜まって潰れそうです。

仕事は自分の中に原動力を持って主体的にやらないと、ストレスになります。自分の生活のため、給料をもらうためにいやいや仕事をするのでは外から強制されますから、ストレスは積もる一方です。仕事を外部から強制されるのではなく、内発的主体的にやるには、使命感を持たなければなりません。それには思いやりの心を養って社会に尽くすことを喜びとし、それを仕事の出発点にすることだと思います。そのような自己改革が仕事を楽しいものにしてくれます。


40歳、子供2人の母子家庭の者です。やっとパートに採用されて1ヶ月ですが、仕事が忙しくて休憩時間も取れません。「何時までにこれを処理して」って一日中時間に追われ、皆ぎりぎりで仕事をしているため、よく判らないところを尋ねても「もう3回くらい説明してるよ」なんて言われます。子供が学校で熱を出し、先生から「迎えに来てください」と言われたときも嫌な顔をされました。今のところは辞めさせてもらい、時間はかかってもきちんと休憩をとれるところを探し直そうかそうか迷ってます。

人は仕事がないといっては悩みます。仕事があれば、休憩時間が少ない、仕事がきついといって悩みます。休憩時間がたくさん取れて、いつでも抜け出せる楽な仕事を探してみて下さい。今度は別の悩みが出てくるでしょう。人の欲望はきりがありません。どのような環境にあっても、感謝することと満足することが幸せの条件だと思います。「感謝する心」参照

 
差別

男女平等とは言っても、女性が男性以上の仕事をしても、男性のほうが評価されます。それが悔しくて、絶対負けたくないと頑張っていますが、同じ職場にいる私の彼氏も、女は家庭を守るほうが良いと言っています。仕事の対する自分のプライドは捨てるべきなのでしょうか。

経済社会は厳しい戦場です。そこで人間は強さや社会性を身に付けてゆきます。家庭社会は優しい愛の世界です。そこで人間は優しさを身に付けてゆきます。人間は本来男性にも女性にも偏るべきではありませんので、人間の完成を目差すには、強さも優しさも身に付けなければならないと思います。ですから経済社会で生きることも、家庭社会で生きることも、人間にとってはどちらも価値のあることではないでしょうか。ところが、女性には出産と育児がありますから、どうしても経済社会では不利になります。家庭が女性の逃げ場になることも、女性の信用を失う要因になると思います。家庭社会の価値を見失い、経済社会の価値だけで人を評価をしようとするところに、男女差別が発生すると思います。しかし、性機能の違いから来る女性の特性を否定すべきではありません。私達は今男性であり、今女性であるに過ぎないのですから。


私は軽度の障害者で、昨年ある企業に法定障害者雇用枠で入社しました。入社後判ったのですが、この会社では正社員になる前に障害者のみ1年間の嘱託期間を設けられています。それは障害者に対する差別であり、会社側と何度も交渉しましたが、「嫌なら辞めてください」と話が平行線をたどり結局自分から辞めてしまいました。行政や弁護士や色々な機関に相談しましたが、法律で障害者の差別を禁止していないので対処のしようがないと言われました。裁判をしても良い結果を得ることはできないようです。今、自分はどうしたら良いのか迷っています。

ここは宗教の掲示板で、社会問題を議論する場ではないことをあらかじめお断りしておきます。宗教は自らの内的改革を通して問題の解決を図りますので、社会問題と混同されると困るのです。もともと社会にはあらゆる差別が厳然としてあります。法定障害者雇用枠という社会制度がなければ、あなたは恐らくその企業には採用されなかったでしょう。人間の欲望にはきりがないもので、採用されてみると、その制度のありがたさを忘れて、今度は内部の差別に不満を感じるようになります。勿論その差別を肯定しているのではありません。それは社会問題として解決してゆくべきです。しかし人間の差別感を根絶するのは難しく、社内差別をなくしてゆくにはまだまだ長い時間がかかるのです。ですから、あなたは社内差別に不満を募らせるのではなく、差別を乗り越えて健常者に引けを取らない仕事をすることによって、将来社内差別を撤廃する原動力になって頂きたかったと思います。これからは法律や権利に頼るのではなく、どうかご自分の力で差別を乗り越えられますことを念願し、心から応援申し上げます。

 
近所迷惑

アパートの隣に水商売の女性とひもが住んでいて、夜遅く出入りするため、近所中が迷惑しています。私は睡眠不足で自律神経失調症になりました。何とか出てもらう方法はないでしょうか。

確かに人の迷惑を考えない自分勝手な人が隣に住んでしまうと、困ってしまいますね。しかしまた迷惑だと感じるほうの自分勝手も加害者になり得るということがあります。私は以前、夫婦と小さい子供2人で古い公団マンションに住んだことがあります。そこで下の階からうるさいというクレームを受けて、忍者のような生活を強いられました。毎日のように子供を叱り、抜き足差し足で歩くのですが、それでも苦情を受けました。分厚いカーペットをひいても効果はなく、しまいに床板を張り替えたのですが、それでも効果はありませんでした。とうとうそこは引越しました。
それ以来私は、共同生活はお互いにある程度我慢し合わなければうまくいかないなと考えるようになりました。そして近所の騒音や迷惑を、自分の家族によるものだったらどう感じるだろうと考えるようにしています。それ以来あまりストレスは感じないようになりました。我慢できることは我慢して、なるべく問題をこじらせない方が良いと思います。問題をこじらせてしまうと、迷惑を我慢するよりよほど苦しみが大きくなるのではないでしょうか。睡眠不足や自律神経失調はそれとは別問題として、スポーツやトレッキングなどで体を鍛えられることをお勧めします。



私は小さな町で1人暮らしをしています。いつも前もって連絡のある人しか玄関を開けないのですが、夕方ドアや窓を壊れんばかりに叩く人がいます。止むを得ず玄関を開けると、地区組合費の徴収とのことでした。置手紙をすれば払いに行くと言ったのですが、暴言を吐かれた挙句「出てゆけ」とまで言われました。これでは名誉毀損もいいとこなので私は法的手段も辞さないつもりです。近所の人達も勝手な偏見で私のうわさ話をしています。引越ししようにもお金がなく、親戚も真剣に聞いてくれません。私はどうしたらいいのでしょう?

今度は人里離れた誰もいないところに住まれたらよろしいですね。そうすれば近所付き合いにうんざりすることもありません。でもきっと怖くて寂しくて、また人のいるところに戻りたくなるでしょう。私たちは空気のありがたさにはなかなか気付きませんが、失ってみて初めてその有り難さが判ります。隣近所も同じではないでしょうか。人間は寂しいが故に近所に寄り合うのですから、隣近所に感謝して、思いやりを持って接することはできませんでしょうか?感謝を忘れて我を張り合えば争いになります。お金をかけて法的手段で争って何が得られますでしょうか?もともとの発端は、組合費の支払いが1人暮らしのためにうまくゆかないからですね。徴収者の身になって、僅かな組合費は1年分前払いにでもされたら如何でしょうか。